20Aug


Kouです。
メルマガで書いていたんですが、ブログの方がいいと思って、あえてブログで書き直すことにしました。
今日、「他人のせいにしたら楽です」というメルマガを書きました。
これについて、僕は自分の人生の責任を自分でとるという話をしました。
この「責任」について、どうも読み違いをしている人がいるようなので、改めて説明することにします。
「自分のせい」とか、「他人のせい」という表現を絡めたからなんでしょうね(^^;
自分のことに自分で責任をとるというのは、「うまくいかなかったことを自分が悪いと断罪する」ことじゃありません。
全部私のせい、私が悪かったんでしょ、ということじゃないんですよ。
責任をとるというのは、そういうことじゃないんです。
日本では責任をとるというとき、謝るとか、辞職するとか、断罪されるとか、マイナスのことを考えがちです。
「できなかったら死んでお詫びします」
の延長みたいです(^^;
僕が言っている責任をとるというのは、そういうことじゃないんです。
自分で責任をとるというのは、自分で面倒を見るということです。最後まで。
全部自分のせい、自分が悪いと考えると、実は相当に辛い人生になります。
他人のせいにしていくことよりはマシかもしれませんが、何でもかんでも「私が悪い」で生きるのはかなりしんどいですね。
「雨が降った。雨女の私が悪いんだ。」
「お母さんが不機嫌だ。私がいい子じゃないからだ。」
こんな発想で生きていると、当たり前ですが、どんどん暗い子になっていきます。
それは、このブログを読んで、恋愛の勉強をしている女性が目指す女性像とは随分違うものだと思います。
そうじゃなくて、うまくいかなかったら笑い飛ばせばいいと思うのです。
そして自分でフォローする腹づもりでいればいいのです。
「雨が降った。しょうがないね。じゃあ雨用の用意をしよう。」
「お母さんが不機嫌だ。でも私は釣られずに明るくいよう。」
これだけなんです。こんな発想ができたら、かなり楽だと思いませんか。
自分を責め立ててくださいと言っているのではなく、自分で楽にコントロールできるようにする方向に持っていってくださいということなんです。
それは、自分に起きたことを、自分で面倒を見る覚悟を持つのが一番簡単なんです。
この話でも、結構いろんなことにつながると思います。
何か特殊な事情があるからできないというふうに、他人のせいにしないこと。
他人のせいにせず自分のせいにするという意味で、自分を責め立てる必要はないんです。
そんなことをしても何もいいことはありません。
特殊な事情は特殊な事情です。
それはそれで事実として受け入れた上で、自分でどうフォローしていくかを決めればいいんです。誰かのせいにして投げてしまうことが責任放棄であって、実は一番ダメージが大きいんです。
他人のせいにしていくのは、一見楽です。
でも楽なのはそのときだけです。実はその裏では相変わらずダメージを受け続けていて、やればやるほど疲弊していきます。
恋愛でも、彼が悪い、親が悪い、環境が悪い、自分の育ちが悪いという理由で、勝手にさじを投げようとする女性のなんと多いことか。
今年の5月、ある人から突然メールが来ました。
「女性の承認」の解除に関するメールでした。
「購読者が亡くなりましたので解除してください」
というものでした。
僕は驚きました。彼女の妹にあたる人からの連絡でした。了解を頂いたので、この女性のことをブログで紹介したいと思います。
この女性は、まじょらむさんという人で、「女性の承認」が2014年3月に始まった初日の登録してくれた一人でした。
なんとガン闘病中でした。
コメントを検索したら出てくるので、興味があればぜひ覗いてみてください。コメントは積極的に書く方ではなく、12時間レッスンのみに参加しているような感じですが、僕はまじょらむさんとは随分やり合いました(笑)。
「闘病中のまじょらむです」という書き出しがなければ、なかなか闘病中だとは分からないくらいに元気な文面が多いんです。
そして一番驚いたのは、全部に自分で向き合い続けていたことです。
結構な数のメールをもらいましたが、弱気なメールはあるものの、病気のせいでうまく行かないというような話はただの一度も書いてありませんでした。
彼女自身、自分ですべて納得しながら行動していたんだと思います。
恋愛の勉強も、自分で納得して進めていました。恋愛もそうです。実際には相当に恐怖があったはずです。
そういう話も聞きましたが、それでも今の状況でできることを常に考えているような感じでした。
これを、自分で責任をとるというのだと思うのです。
この知らせを受けたのはもう半年か1年くらい前のような気がしますが、実際には数ヶ月しか経っていません。僕の中では、まだ実感がないからかもしれません。
特殊な事情というのなら、彼女は間違いなく特殊な事情を背負っていました。
たとえ苦しい状況にあっても、あなたと全く同じ時代に生きていて、同じ時期に、同じ場所で、同じブログの記事を読んで、恋愛の勉強を楽しんでやっていた女性がいるのです。
どうか、そういう女性がいたということだけでも記憶に置いてください。
僕はこの記事を、まじょらむさんへの記録記事にします。
残念ながらコメントで会話をしたことのある人がいないようですが、まじょらむさんのコメントを読んで知っているという人はいるかもしれませんね。
僕は自分で自分を責め立てることは一切望んでいません。
そんなことはしないでください。
考えてほしいのは、自分のことを自分で最後までフォローし続けることです。
自分の人生がうまくいくかどうかを、自分で決めることです。自分で納得して進めようと思う気持ちをもってもらうことです。
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少し弱気になっています。
私の今の状況を見て、ほとんどの女性は
「特殊な事情があるから幸せをあきらめなければならない」といいます。
しかし、男性は真逆で
「特殊な状況だからこそ、幸せをあきらめちゃいけない」といいます。
私は幸せになりたい。
だから、男性たちのいうことを信じて、自分にいいきかせて頑張ってきました。
そのうち、まわりに親切にしてくれる男性がふえてきました。
きれいになったと言ってくれる男性が増えてきました。
恋愛感情を伝えてくれる人が複数でてきました。
そのうちの一人とお付き合いすることになりました。
特殊な事情を持つ私にとって、奇跡みたいなことでした。
でも、彼との価値観の相違、向き合えば向き合うほど上がるハードルに今打ちのめされています。
彼が勉強を教えてくれるデートの時にお弁当を作ってほしい、それを断ると勉強を教える代金を請求される。彼より私の車が乗り心地がいいから車を出してといわれる、私の車でイチャイチャしようとする。
人の目が気になるといっても実家や車でイチャイチャしようとする。
頑張って頑張って彼について行ってるのに、わかってくれない。
一度言っても彼の都合が悪ければ、聞こえなかったかのように同じ要求をされる。
予約の電話や車を出すことを要求される。
もういや。幸せじゃない。
こんな時、電話取らなくてもいいですか?
こちらの都合おかまいなしな彼に合わせる必要があるのでしょうか。
彼が離れてしまったらその時はその時と思いきれない弱い自分がいます。
まじょらむさんのコメントを読んでみました。Kouさんのブログで勉強しどんどん魅力的な女性になり恋を人生を充実させていったのだなと伝わってきて来ました。夜中に悲観的な気持ちになってメソメソしてしまう今の私がまじょらむさんの存在を知れたのには大きな意味があったのだと思いたいです。私ももっともっと勉強しどんどん変わっていきたいです。このような気持ちをくれるKouさんに心より感謝致します。
もう答えは出ておられる気がします。
>事情あるから諦めろという女性陣
>事情あっても頑張れという男性陣
この2つの意見(というか、manaruiさんご自身の中にもともとこの二つの選択肢があったんですよね)の中から後者を選んだ=諦めたくないのです。
これがまず一番大事です。結論です。見失ってはいけないものだと思います。
後者を選ぶことにしたら色々うまく行くようになり彼氏ができた
→だけどうまくいかない、自分の気持ちや感覚を大事にしてもらえない気がする
→電話取りたくない
出なくていいです ( >ωФ)b オッケー♡
駆け引きの戦略的な意味で言ってるんじゃないですし、理屈があっていいですと言ってるわけじゃないです。
でも「電話出たくない」これが真実、誰よりも大事にすべき自分、諦めずに幸せになりたい自分の願望なのでまずはそっちの希望を優先しましょう。
>私の都合に御構い無しな彼に合わせる必要
そんなもんあるわけないじゃないですか、やだー!
男性はアホというか、非常にざっくりしているので、いやと言わないことはどれだけ渋々やってる様を見せようがブツブツ言いながらやろうが、容認した、と認識してしまいます。
なので女性の感覚から言うと、こっちから喜んでそうしたくらいに思ってしまう傾向あると思います。
なので嫌なことは断固お断りでいいと思います。むしろそうしないと、もっとハードルあげられますよ。そしてそのハードルって、そもそも超えないとダメなハードルじゃないことも多々ありそう
ハードルあげると言うと挑戦すべきことみたいな感覚ありますが、そうじゃなくて雑な扱いの度合いが上がるってことだと思います。
雑な扱いされたいのならどんどん都合のいい女になっちゃえばいいと思いますが、
都合のいい女が本命な男の人ってあまりいない気がします。
結果的に容認することがあってもいいと思いますし、相手の都合に合わせてあげることがあってもいいと思います。
でもそれは、そもそもやってやってもいいな程度のことで、その上manaruiさんの気が向いた場合だけでいいと思います。
>頑張って頑張って彼について行ってるのに、わかってくれない。
頑張ってる、彼について行ってると評価されてないので、manaruiさんが期待するような反応がないのかと思います。
そして彼の都合のいい状況を作ることと、manaruiさんが期待するような反応って、そもそも繋がってるのでしょうか?
喜ばれたいなら本当に相手に刺さる行動する必要がある訳だし、そもそもそういう反応する相手なのか、そこまでやってやる、やってみたい、やる必要がある相手なのかって問題もあります。
そもそも努力を認めてもらう必要があるのは仕事とか勉強の場であり、恋愛の場じゃない気がしますね。恋愛において努力が認められるって、彼のために頑張ってダイエットしましたとか、デートなので着飾って行きましたとかその程度でいいと思います。
楽しくあるために恋愛してると思うので、楽しくないことはしなくていいです。
楽しくないことをしなくてはならない相手なら、相手を変えないと楽しくできないかもしれません。
半分以上が諦めろという状況で諦めたくなかったんですよね
だから頑張ったんですよね
そしたらうまく行きだしたんですよね
↑ ここもっと大事にしてください。
自分がこうありたいと思うことがわかった、だからそうした、そうなるように努力したら自分と周囲が変わった
この一つとしてできてない人はたくさんいると思います。だけどあなたはできたんです。
過去できたんだからもう一度やり直す、仕切り直したらもっとうまくできます。
あなたにはダイエットは無理だと周囲の半分の人間が言ったけど諦めたくなかったので頑張ったら痩せた→痩せたからワンピース買ってみたら似合わないし着心地が悪い
↑
まだダイエットすべきなんでしょうか
違いますよね。選ぶべき洋服が違うんじゃないでしょうか。
それでもそのワンピースを着こなしたいってことはあると思いますが、そのワンピースに合わせて髪型やメイクを変えた自分が好きならそれでいいけど、ワンピースに合わせてたら全然自分が望んでもいない自分になってたなら、やっぱり選ぶべきワンピが違うんではないかと思います。
他人から見ると ( ФωФ) そんなゴミ、まだいるの? と思うような人と付き合ってる人は
ここにはたくさんいます。私も他人目線だとその一人かもしれないです。
嫌いになれない、好きだから見切れない人はたくさんいますけど、manaruiさんはちょっと違うんじゃないかと思いました。
もう既にほとんど彼のこと好きではないんじゃないですか?
だけど恋愛相手がいなくなるのが怖いからどうでもいいやって思えないような印象を受けました。
上のワンピースの例でいうと、manaruiさんが求めてるのは痩せて綺麗になった自分が素敵なワンピースを着て満足することなんですが、ワンピが似合わないので困ってる訳なんだけど、それはまだmanaruiさんのダイエットが足らんからではないし、ご自分でもそれがわかってる気がします。
だけどダイエット成功したのにワンピが似合わないという事態に焦ってしまい、まだ自分が悪い、自分の努力が足らないという結論になってしまってる気がします。
ダイエット成功して初めて買ったワンピが似合わないから、ワンピ買うまでの自分も間違ってた、努力が足りなかった、だからこのワンピが似合わないとダイエット成功したことにはならないから無理して着なくてはならないんだと思ってる感じがしました。
そんなことはないです。
そのワンピをさっさと断捨離して新しいワンピをじっくり選んで本当に着たい服、自分が綺麗に見える服を選ぶだけで、今のその苦しさなくなる気がします。
》特殊な事情というのなら、彼女は間違いなく特殊な事情を背負っていました。
あーこれなのかも、
恋愛うんぬん私は特殊な事情、環境で
背負っていました
断るとか受け入れるとか
私の意思、意識はありませんでした
誰もわかってはもらえない特殊な事情
いや、なら嫌もなかった
はい、喜んでもなかった
誰に言っても頭変としか思われない
と思う
意思、意識がないのに
記憶もないのに
深いところで蘇るくるしさ
好き放題されても意識がなかった
特殊な事情だから‥
それは自ら引き寄せたのだろう
だれのせいでもない
と自らに言い聞かせるしか
いまの私にはない
でも私は守られ、自分で自分を支えた
誰でもない自分の力で
ほんとうに愛するってなんだろう
良心ってなんだろう
親を大切にする心
我が子を愛する心
彼女、妻、パートナーを愛する心
なにより自分の人生を愛してこそなのかもしれない
私は人にこれからなにができるかな
役にたてるかな
愛で救えるかな
満月の効果とこの場に感謝します
昨日起こった出来事と今日読んだこの記事がすごくシンクロしてます。不思議ですね。いつも読む必要があるタイミングでその時に必要な記事を読んでいる気がします。
実は、昨日アルバイトを首になったんです。
レストランのウエイトレスの仕事で始めてから1週間でした。このレストランは色々と問題があり、本来なら2人以上でやるべき仕事を、人件費を削減したいからという理由でひとりに無理矢理やらせていました。私もまだはじめたばかりなのに関わらず、来週以降はひとりでシフトに入ることになっていたんです!
ひとりでは物理的にレストランを回すことは不可能なので、人数を増やしてくださいと上司にお願いしていました。
そして昨日、上司から「今までひとりで回していたので、ひとりで回せない人は雇えない。今日限りで辞めて欲しい。」と言われたんです。
昔の私ならすごく落ち込んでいたと思います。私はうまく仕事ができなかった、ダメな子だって。
でも昨日は違いました。私にはこの仕事合っていないな、この仕事をすんなり辞められてよかったと感じました。それどころか恐れずに自分の意見を言った自分を誇りに感じました。それにすごく嬉しかった(笑)
自分を責めなかった。これはすごい進歩だと思います。
今まで、責任の意味をはき違えていたようです。
彼の些細な一言に不必要に傷ついて、感情が揺すぶられて、振り回されている自分に腹が立って、勝手に自分を責めていました。昔からこの傾向はあり最近良くなった気がしていたけど、これからも定期的に思い出す必要がありそうです。相手が自分に対してマイナスなことを言った時も、なんか変なこと言ってるなと思えばいいとKouさんもおっしゃっていましたね。
そして、彼は「自分で責任をとる」こと、出来ているように見えます。この前、私が怒っていても彼は怒りませんでした。私はたぶん彼のそういうところが好きなんです。
「彼が忙しくて会えない」「彼が余裕がなくて私のことを思いやれない」のは、私が何かしたわけでも、私に魅力がないからでもありません。
「彼が忙しくて会えない」「彼が余裕がなくて私のことを思いやれない」なら、しかたないね、私は私で自分の人生を楽しんでいますね♡
はじめまして。温かいコメントありがとうございます。読みながら、涙が出ました。
(自分あてにいただけると思ってなくて、気づくのが遅くなってしまいました。すみません。)
kyoncatさんのおかげで、まわりの意見に流されず、わたしは幸せを諦めないことを選べたんだなあ、結構頑張ったんだと自信が持てました。
>男性はいやと言わないことはどれだけ渋々やってようが容認したと認識
前のコメント書いてから20日の間に、そんなことを考えました。相手に察してもらうのをまって、それが叶わず2人が幸せになれないことを相手のせいにするのってなんだか卑怯というか傲慢な気もしてきました。自分が高いところでいて文句言ってばっかりでは本当の信頼関係は作れない、きちんと伝えなければと思ったんです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※前のコメントでは彼のいいとこ書けてませんでしたが、彼もいいところあるんですよ。私の事情を知って、それでも明るく試行錯誤しながら真剣に努力しているところがいいと。いろいろな事情で作り笑顔で乗り切るのが癖になっていた私に無理してないかといい、心を開けなくなった私を強引に外に連れ出し、はしゃげるようになるまで心を溶かしてくれました。お弁当を断るまでは私勉強するための場所(特殊性から場所を借りなくてはいけません)の確保に奔走したり、ほかの人には有料で授業するところを無料で教えてくれてました。彼自身がそうしたかったんでしょといわれればそうですけど、私は彼の気持ちがうれしかったです。
いろんな要求があるのは事実だけど、それと同時に彼の愛情も感じ、彼自身にどうしても譲れない理由があるような気もしていました。
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お弁当は負担であること、私たちは共同で発表もする(比較的差は少ない)し付き合ってるのに授業料を出すのは抵抗があるのと、勉強のたびでは経済的負担が大きすぎて払えないことなどを伝えました。彼は、怒るというよりショックを受けていました。経済が厳しいなら仕方ないけど、会えなくなってしまうのは寂しい、ゼロではなく回数を減らそうと。
そして、彼からの連絡はなくなりました。最近は勉強会や関連の発表会準備に没頭しているようなことを言っていました。彼から勉強のお誘いもなくなりました。
私からの連絡には答えてくれますが、以前のような熱は感じなくなりました。
連絡がない間、彼が離れてしまってもいいのかどうか考え、いやだという結論を出しました。どうすれば彼とまた一緒に楽しく過ごせるか考えて、今日は彼の話を聞こうと決めて電話しました。
そうしたら彼は前のように話が止まらなくなりました(笑)。その中でいろいろ話してくれました。お弁当を断られたのはショックだったと。自分はmanaruiちゃんのためにといろいろ頑張ってきたつもりだったけど、「お弁当なんて面倒」という気持ちが伝わってきて、簡単なのでもいいと食い下がっても断られきつかった。それで、正直なところ電話する気持ちになれなかったと。あと、その伝え方が感情的で(こんなに大変な私に何でそんなこと言うの?!というかんじでした。。)、何も言えないと思ってしまったと。共同発表の時も途中で彼がピンチになって、私がこっそり彼に「前、こうしたらよかったよ」と言ったのですが、彼はそれ(私でもできる)が苦手だったらしく、また、教える立場の自分に意見するなんてと言っていました。プライドを傷つけてしまったんですね。結局、その共同発表は彼と私なら1位をとれるだろうと言われていたのに、9位で彼は周りにいろいろ言われ、数日後の電話で私ともう組まないといっていました。。。
彼の気持ちが聞けて、彼の立場優先な意見ではあるんだけども、彼がそう考えてもおかしくないなと納得できるところもあり、私は自分の欠点に気づいたりして、私は彼に謝りました。そして、自然と教えてくれてありがとう、直していくから、これからも時間のある時に教えてほしい、頑張ってついていくから、いつかまた一緒に発表したいと思ってもらえるように努力するから候補には入れておいてほしいと伝えてました。
そうしたら、彼喜んでくれて一緒に頑張ろう、次はあの課題をこういう方法でやろう!あれも教えてあげるよ、あ、その時はあのスカートかわいいからはいてきてね♪と仕事帰りでご飯も食べてないのに4時間も話し込みました。食べなくて大丈夫?ときくたびあと5分で切るといいながら4時間~( *´艸`)
わたし、彼に教えてもらうようになってかなり力がついて、彼より上のレベルの方からも目をかけてもらえるようになってきたんです。その方々にほめてもらうのは、彼が教えてくれたことばかりなんですよ。私目線の不満ばかり書いいたから、彼はひどい人間になってしまいましたがじつはこんな感じです。発表の日以来あってませんが、イチャイチャするのも以前より周りの目を気にしてくれるようになりました。彼は10歳年下なので少しずつ分かってくれたらと思います。
彼にとってはお弁当は私の愛情、自分の知識や技術に対する私の評価のような気がしています。
私たちは私が彼の才能、努力に感激して、感激している私に彼が感激して距離が短くなったんです。
そういうこともあって、楽しめるときは作ってみようと思います。半分以上が諦めろという状況で諦めたくなかったように、彼のことも諦めたくありません。
>男性はいやと言おわないことはどれだけ渋々やっても容認したと認識してしまう
これを肝に銘じて、今はワンピースを変えるのではなく、ワンピースに合わせて髪形やメイクを変えてみようと思います。
Kyoncatさん、電話に出たくないと思ったら出ない、したいとおもったらする、いやだと思ったら断る、自分が悪いとこがあったと思ったら謝る、悪いとこ指摘してくれてありがたいとおもったらお礼を言う、そして彼と向き合うにはこれまでより体力と精神力が少し多めに必要なことを覚悟する、これでいいでしょうか?(*’▽’)
もともと自信もないし、仕事も勉強もできるほうじゃありませんでした。男の人の後ろで守ってもらってささやかな幸せがあればいいと思っていました。でも、事情があっていろいろ闘わなければならない日々が何年も続き、無理やり闘いの場に引きずり出されて戦闘モードで過ごしてました。ふだん、戦場の外ではおだやかにすごしてますが、戦場の外でも私の権利を侵害する(彼と会うな、会うならmanaruiの個人情報を言いふらすぞと脅されたり)人に出会ったり、彼に常識では考えられない要求をされたり(甘えなんですけどね)して、戦闘モードにスイッチが入ってしまうことが多くありました。
もっと、懐を広くして反射的に反応しないようにしたいと思います。
いままでの戦場ほど、一つのミスがあとに大きな傷を残すことはない、万一傷がついてもそこからもう一度幸せになる方向へコツコツ努力すればいいだけだと自分に言い聞かせます。
すごくながくなってすみません。
最後まで読んでくださってありがとうござました。
kyoncatさんにいただいたメッセージを何度も読み返しています。
あわせて、ここに書いた自分の投稿も一緒に読んでいます。
もしかしたら、kyoncatさんの言うとおりワンピースを変えたほうがいいのかもと思うことがあります。
彼に認めてもらえてとても嬉しかったんです。
無理をしないときは楽しかった。
でも、お弁当を求められて、断った後の彼の態度、納得しようとしても、やっぱり受け入れられない。
彼は自信がないから私の愛情を確認したいんだ、と思おうとしたけど、私の中の何かが違和感を訴えてくる。。。
彼は私に甘えてほしいと言ってました。
でも、うまくできず、かれも私からうまく引き出すことができなかった。
今は楽しいと思えない気がするので、連絡してません。
けど、本当は彼に会いたくて寂しくて心細くて仕方ないんです。。。
こうやって揺れ動く自分を認めて休むことも自分のフォローをしていることになるでしょうか。
これ、今の私にめちゃ刺さりました。
ずっと「責任を取る」って意味が分からなかった。
最近仕事で昇進しました。
責任が重くなったはずですが、どう責任取ったらいいか分からなかった。
スタッフがミスしたら、それを謝ればいいの?って悩んでました。
違いますね。
私がスタッフをフォローする。できるだけ良い方へ。
私が私をフォローする。可能な限り良い方へ。
私が私の人生を良い方向へ進める。
何が良い方向なのかも私が決める。
それが、責任を持つということ。
manaruiさん、お返事ありがとうございます。
多忙で色々目先のことを優先してたのと、考え出すと色々落ち込むことも多くて、ここ自体あまり見ておらず、気づくの遅れまして申し訳ないです。
でも、最近全く知らない人にコメすることが少なくなったとはいえ、manaruiさんのお名前は、
パッと あーあの、反対されまくっても恋愛すること選んだ人だな と思い出したほどです。
それくらい大事にしてほしいと思います。
彼さんのことは、私は全く知らないので、ズバズバ切りすぎてたらすみません。
彼さんが割といい人で、たまたまmanaruiさんの書き方が悪かったとか、私が細かい事情を知らないので一方的に悪く見えるということはあると思います。
ですが私がmanaruiさんのごく近くにいて、彼のこともよく知ってても、決めるのはmanaruiさんです。私からみて、一日も早く見切った方がいい!と思う相手でも、絶対頑張って結ばれるべきだ!と思う相手でも、それは所詮私の意見です。
なので彼のことをしみじみ好きだなと思う時でも、逆にもうやだ!電話どころかメールも見たくない!と思うような時があっても、それが今、manaruiさんにとってベスト、正解だということを忘れないでほしいなと思います。
もうこんな人いらん!と思うけど思い切れない見切れない、逆に好きだ!と思うけどなんか心が揺らぐ時は、ひたすらkouさんの過去記事読んで客観的、俯瞰的に自分の感情を見つめてあげればいいんだと思います。
最近つくづく思うことがあり、それは過去の私は一生懸命恋愛してるつもりだったけど、その都度都度の感情の赴くままに動いただけだなってことです。
感情のうねりを満たしたい、感情の赴くままに動きたいっていうのはあると思うし、それはそれで意思なのかもしれないですが、大切な自分がいかに置き去りになってたかということを、私はここで色んなことやったり考えたりするうちに、ようやく見えてきました。
自分がやりたいことをやってるつもりで、自分の感情や衝動に、私という人間の手綱を渡してしまってたんだと思います。
今も好きな人がいるので、その人との関係がよくても悪くても、感情のうねりが起こるのですが、
その時、今自分がどうしたいかというより、本当の自分、大事な自分にとってどうあるべきなのか、なるべく考えるようにしたいなと思ってます。
自分の手綱を自分で握ってさえいれば、暴れ馬を相手にして踏み殺されそうになろうが、優しい白馬に寄り添ってもらえようが、どうしたらいいか、本当にどうしたいかが常にわかってると思います。
正直今でも感情のうねりのままに恋愛していいと思ってます。
だけどその時は置き去りになりかけてる大切な自分に許可をもらうこと、思い通りに感情の赴くままに行動して結果辛い思いをしても、この記事のように責任をとり続けることができるかどうか、事前によく考えたいと思います。
>Kyoncatさん、電話に出たくないと思ったら出ない、したいとおもったらする、いやだと思ったら断る、自分が悪いとこがあったと思ったら謝る、悪いとこ指摘してくれてありがたいとおもったらお礼を言う、そして彼と向き合うにはこれまでより体力と精神力が少し多めに必要なことを覚悟する、これでいいでしょうか?(*’▽’)
彼と向き合うにはこれまでより体力と精神力がいるかどうかは私にはわからないのですが、
基本恋愛とは、というか周囲の家族含めた人間と付き合うということは、しんどいことです。
なので体力と精神力をもっとも使うめんどくさいことなんだと思います。
だけどこれをいかに丁寧にできるかが、結局自分のためになるような気がしています。
>もともと自信もないし、仕事も勉強もできるほうじゃありませんでした。男の人の後ろで守ってもらってささやかな幸せがあればいいと思っていました。でも、事情があっていろいろ闘わなければならない日々が何年も続き、無理やり闘いの場に引きずり出されて戦闘モードで過ごしてました。
思うんですが、自分の足りない部分を知ることはとても大事なことです。
病弱で体力のない人が、毎日色んな身体トレーニングしてきついスケジュールをこなしてる人と同じようにしないとダメってことはなく、この辺りの見極めはとても大事で、自分を大事にすることだと思います。
なので基本この姿勢(戦い以前)も間違ってないと思いますが、
”自分がダメなので守ってもらってささやかな幸せで満足するしかない”というのは、自分で自分の能力や幸せの範囲などを決めてしまうことで、これはよろしくないと思います。
12時間レッスンはやっておられますでしょうか?私にとってあれは10時間目くらいからが本番だったのですが、この辺りから色々わかるようになってると思いますので、もしまだ参加されてなかったら、ぜひ11時間目からでもいいので参加してみてください。
私も12時間レッスン単独でわかったわけじゃなく、占い云々の記事とか関係ないところで全く意味がわからなかったことをなんとなく考えてて全部繋がったので、もしかすると一度ではわからないかもしれないですが、この程度と自分のことを思ってしまうのは、本当に怖いことだと思います。
結果的に闘うことにされて、嫌々でも実際やれたってことは、やっぱりmanaruiさんは自分で思ってるよりはるかに強いのだと思います。
もっともっと自分ができるのではないか、できるはずだと自分を信じてみること、これを自信と言います。
>ふだん、戦場の外ではおだやかにすごしてますが、戦場の外でも私の権利を侵害する(彼と会うな、会うならmanaruiの個人情報を言いふらすぞと脅されたり)人に出会ったり、彼に常識では考えられない要求をされたり(甘えなんですけどね)して、戦闘モードにスイッチが入ってしまうことが多くありました。
これは12時間の憎悪でだいぶ楽になるんじゃないかと思います(他力本願)。
他人はもっと優しい他人、こうした方がいいよ、こうしてあげるとか言ってくる人含めて、所詮他人で、manaruiさんの人生を変えることはできません。
ましてや悪意を持ってくる人にできることなんてほとんどありません。
(ФωФ) なんかいうてはる
くらいに聞いとけばいいし、雑音だと思うことは右から左でいいんだと思います。
親切だな、と思ったら感謝や、他人が気遣ってくれること自体は尊いので、そういう人と会えたこと、そう思ってもらえる自分であることなど、色々感謝しまくるといいと思います。
彼もそうですね。とりあえずやりたくないことはやりません、いうこと聞きません、電話やらも気が向かなかったら出ませんので!ということだけしっかり思ってれば、気遣ってやる必要もないくらいです。
これはまだ私もわかったとは言えないですが、何考えてるんだと思わせとくくらいが、男性孝行なんだと思いますので、相手がこっち向いてるうちは放置で自分でどうすべきなのか考えさせるか、そうなるようちょっと誘導するといいんじゃないかと思います。
戦闘モードのご自分は、お好きでしょうか?
その方が自分らしいと思うのであれば、それでもいいんだと思いますよー
でもすんごいざっくりした話で、ある意味全く根拠ないんですが、kouさんが言ってる話っていうのは、世の中はあるべきようにした方が色々物事流れやすいってことなのかなと思うんです。
なので強くあることで自分の中の女性らしさが傷つくことがない、揺るがない、違和感感じないのであればそれはそれで間違ってないんじゃないかと思います。
manaruiさんはすごく真面目な人だなと思います。真面目な人ほど追い詰められやすいので、あまり自分がこうあれかし!あらねば!みたいに思わないこと、それだけ気をつければいいと思います。
こうなりたい!とか、ワクワクすることを常に心がけて、自分の心がひん曲がったりしてないか、清くあるか(品行方正であれとか正直であれとか優等生的な意味ではないです。自分が清々しい、これが正しい自分の心のあり方だと思う清さ)であるかどうかだけ気にしてればいいと思います。
私も本当に迷ってばかりで、特に彼氏関係ではもう容易にダークサイドに落ちるわ、どん底を垣間見るわで、全くもって人様に何かこうですよ、と言える身の上ではないのですが、
心を明るく、常に楽しい気持ちでいるよう、私が幸せでいるよう行動したいと思っています。
それがこのまじょらむさんの話から得た教訓です。
全然できてはいないかもしれないですが、ふてくされそうになった時、いつもこの記事がストッパーになってくれてると感じています。
(Ф∇Ф) 明日もどうぞ誰よりも幸せなmanaruiさんでいてください!
>自分を責め立ててくださいと言っているのではなく、自分で楽にコントロールできるようにする方向に持っていってくださいということなんです。
それは、自分に起きたことを、自分で面倒を見る覚悟を持つのが一番簡単なんです。
そうだったんですね。
大晦日にkouさんに教えてもらったことは、これを言い換えたものでもあるんですね。
私はどうしても深刻になりやすいです。そういう自分なんだなと、いろいろな出来事を通して理解し始めました。
やはり、
「大抵の悪いことは起きない」
と何度も読んでみても、ある程度自分で駒を進めてみないとわからないことはあるのですね。
私は就活中ですが、まず1つ目の区切りがついた段階でようやく、深刻に構えすぎなくていいということを体験できました。
まだ結果待たないといけないですけどね……
でも、前向きに、そして余計な感情にとらわれずに、本質を見続けたいです。
>何か特殊な事情があるからできないというふうに、他人のせいにしないこと。
他人のせいにせず自分のせいにするという意味で、自分を責め立てる必要はないんです。
これも。
特殊な事情は、なんで特殊な事情なのか……いや、そういうことがある人はたくさんいると思います。
でも、私の場合はどうなの?と考えれば、私の場合は特殊な事情はない気がします。自分から断定してはいけない気もします。
この記事は、人の生死が関わっていて足が遠退いていたのですが、読みに来てよかったと思いました。
>自分の人生がうまくいくかどうかを、自分で決める
生きる上でこんなに重要なことを、さらっと書けるKouさんが、すごい…。
他人をうらやましがって、おぼれそうになっていました。
幸せの定義も、今の環境にどう感じるかも、みんな一人ひとり、違うのに。
ダメですね。
わたしはわたしなのに。
小さな幸せを幸せと感じようって、
数年前にとある人からアドバイスされたことがあるのですが、
幸せに対して、
「確かに幸せだけど、他の人と比べてたいしたことないや」みたいな思いがあるんですね、
私。
歪んでいないで、しっかり受け取らなくちゃ。
>自分に起きたことを、自分で面倒を見る覚悟を持つのが一番簡単なんです。
この記事は読んだことあったんですが、そのときは特に刺さってなかったかもですね…
何故かというと、父が教えてくれた極意みたいなものがあり、それに似ているように思ったからです。
学生時代にレポートなどで当てにされることが多くて、図々しい人たちからは上手く逃げていたのですが、どうしても厄介な人と組んでプレゼンをしなくてはならなくなって。
嫌だなーと思って父に相談したら、
「もう全部自分が面倒見るって最初から腹くくると楽だよ。お父さんはそうしてる」
なるほどと。心持ちの問題なのだと思いました。
なんでも自分の責任で対処するのだと端から決めておけば良いと。
そうすれば現実と自分の相手への希望とのギャップに傷付くこともないのだと。
私はこの考え方はあきらめの極意のように捉えていたんです。
それが良くなかったんですね。
>そうじゃなくて、うまくいかなかったら笑い飛ばせばいいと思うのです。
そして自分でフォローする腹づもりでいればいいのです。
大事なのはここだったんですね。
なんというか、あきらめという負の気持ちで仕方なく腹をくくるという考え方ではなく、後で笑い話にするくらいの勢いで、しゃーないなと笑いながら事に取りかかる姿勢が大切だったんですよね。
このプレゼン、結局貧乏クジ引いたみたいな気持ちでやったから、全然上手くいかなかったんです。
そうじゃなくて、後でネタにしてやる!くらいのいい度胸で(笑)面白可笑しくやってしまえば良かったのかもしれないですね。
…私に出来るかどうかはまた別ですが( ̄▽ ̄;)
弁天さんありがとうございます。
やはり読むべきタイミングで読まなければ頭には入ってこない。
教えてくださってありがとうございました!
m(_ _)m
はにはぜさん(о´∀`о)
無事に見つかって良かったです♪
私も初めてこの記事読んだときは、まじょらむさんのことの方が気になって、Kouさんの前書きというか、メインはそこだったかも知れないところを軽く読み飛ばしたようです(;´∀`)
>自分に起きたことを、自分で面倒を見る覚悟を持つのが一番簡単なんです。
覚悟をもつ。これがやりきれてなかったなぁ~と反省したのでした(´・ω・`)
そうすると、頼んだのはいいけれど、相手ができなかったときの、ガッカリ感やイラつき、あ~頼んだ私がバカだった~みたいなことを考えなくなりそうだなと。
>大事なのはここだったんですね。
なんというか、あきらめという負の気持ちで仕方なく腹をくくるという考え方ではなく、後で笑い話にするくらいの勢いで、しゃーないなと笑いながら事に取りかかる姿勢が大切だったんですよね。
そう!その上でしゃーないなー( ・∀・)を発動し
つつ、自分のメリットになるし、まぁ良しとしよう!とやるか、他の方法を探して乗り越えるかしていくのが楽なのかな~なんて。
で、今回、相手ができなかったからってこの人は頼んでも無理だし…と決めつけずまた自分の責任で頼んでみる。
>他人のせいにしていくのは、一見楽です。
>実はその裏では相変わらずダメージを受け続けていて、やればやるほど疲弊していきます。
裏でダメージを受け続けてる~ってのは、やっぱり、この人は頼んでも無理だし…と相手の可能性を信じないで、自分が全てやらなきゃ…と思ってるときのイヤイヤ感も含まれてるのかな~と思ったのでした。
こんな感じでこの記事からヒントを得ました~(* ゚∀゚)
>やはり読むべきタイミングで読まなければ頭には入ってこない。
はい、私も同じく(*´∀`)
いいタイミングでした~
時々、この記事を読みにきます。
相手の状況とか、相手の気持ちとか、未来のことを考えすぎて、全部やれない言い訳にしてました。
もう傷つきたくないし、気持ちを確かめるのも怖いし、、、行き着く先に、しあわせなんて待っていないかもしれないし…………。
でも、後悔はしないようにしたい。
上手く行かないことを、誰のせいにもしたくないです。
自分に嘘をつかないようにしなきゃな、と思います。
大好きだった愛犬を失いました。
今までも死を看取ることは何度もありましたが、こんなに近くで消えていく瞬間を感じたのは初めてで、すごく死ぬということ、生きるということについて考えてました。
今まで頭ではわかっていても、どこか他人事だった命の終わりというものをすごく近くで見て、自分にも、大切な人たちにも、いつかそういうときがくるというのが、実感として私のなかに突き付けられた。
そしたら、ほんとに今当たり前にある環境や関わる人、生きてる毎日が愛しいくらいに大切に思えて。
いまを大切に生きようという意思の強さが、今までと全く次元の違うものになりました。
そしたら、毎日のなかに小さな幸せをたくさん見つけられるようになった。
特別な何かはなくても、いますごく幸せを感じられてる。
私はどんな状況でも、毎日を大切に生きて、幸せを見つけていけるだろうなと思ったら、未来への変な執着や不安も全くなくなった。
今自分にできることを、まっすぐにしていくだけ。
諦めるとか流されるとかではなく、委ねるという感覚。
自分ではどうにもならないものは受け入れて、その中でいま自分にできることをしていく。
これが自分の生き方に責任をもつということなんだと思った。
旅立つ前日まで、受け付けなくても食べる意思をみせ、自力でトイレにもいこうとして。
苦しかったはずなのに、ほんとに最後の最後まで懸命に生ききってくれた。
どんなにしんどいときがきても、私もこうあるべきだと思った。
私もこんな風な最後を迎えられる私でいたい。
どんな状況に置かれても、私はそのとき自分でできることに向き合って生きていく。
その覚悟ができた今なら、何も怖くないなと思えます。
そのときそのときで苦しかったり、辛かったりはあると思うけど、それでもきっと大丈夫だと思える。
介護生活、楽ではなかったけどほんとに楽しくて幸せな時間だった。
もっともっと一緒にいる時間を大切に過ごせばよかったと後悔に襲われる日もある。
当たり前が当たり前にあることが、どれだけ幸せなことか。
ほんとに大切なことをたくさん教えてもらった。
大好きとありがとうしか出てきません。
私も私をしっかり生きていこう。
今のこの気持ちを忘れないように、大切に生きていこう。
>そうじゃなくて、うまくいかなかったら笑い飛ばせばいいと思うのです。
>そして自分でフォローする腹づもりでいればいいのです。
これ、苦手で。
何かあると「私のあの対応が行けなかったのかな……」と後ろ向きに考えてしまうんです。
足元とか後ろを向くくらいなら「しゃーない」と笑って前を向いた方が早いですよね。ここの立て直しを早くするように意識していこうと思います。
自分のことは見えにくいですね。
やはり、ワンピースを変えるべきでした。
彼では幸せになれない、解っているのに気になって仕方がないのはどうしてなのでしょう。会いたくないし、声も聞きたくないし、彼の動向が見えるとチリチリしてしまう(意地悪な考えが湧いてしまう)ので、可能な限りタイムライン的なものも非通知にしました。
関わりたくないのに執着してしまうのはなぜなんでしょうか。
試練をパスし、人間不信も乗り越えて、やっと安らげるという期待が大きかったからでしょうか。
今までで一番楽しかったからでしょうか。
落ち込んでたから余計しあわせに感じたんでしょうか。
執着から解放されたいです。
被害者という概念は持たないというくらいでいいのでしょうか。
どんなときも対等。
何か危害を加えられたときも、自分の行動に責任を持つ。
被害者になって加害者を責めたり、可哀想な自分に浸るのはごく短期的には楽で刺激的かもしれません。
でも、やっぱり何だかんだ心を消耗してしまう気がする。
大河ドラマで平清盛を見たことをきっかけに、平家物語に興味を持つようになりました。といってもドラマの方はまだ全然見られてないんですけど……
でも、四半世紀生きてきて平家物語に興味を持ったことなんて一度もなかったんです。最後の記憶は、中学時代に授業で祇園精舎や那須与一の下りを暗唱させられた程度です。
元々、軍記物に興味がなくて、雅な恋愛模様の源氏物語の方が好きでした。だけど、先入観を取り払ってみてみたら面白い。
まず、平家物語が仏教的な観点から描かれてて、この世の無常と盛者必衰が根底に流れるテーマだからフィルターかかっちゃってたんですよね。
もちろんそれは大事なテーマなのかもしれないのですが、たぶんなんだけど、当の清盛本人はきっとそんな事思ってもいない気がするんですよね……。清盛だけでなく、滅びていった平家一門も滅ぼした源氏一門も、そんな風には思ってなかったんじゃないかと思います。
こういうのは、ひとつの時代が終わり、次の時代が成立してさらに時が経ち、後世の人間が初めて評価できるものなのだと思います。私たちが彼らを見てとやかく言えるのも、結局は彼らが作ってきた下地の上に今の生活があるからなのですよね。もちろん、平安時代と平成時代が直接繋がっているとは思いませんが、歴史はどこかひとつを切り離せるものではないと思うからです。
そう思うと、Kouさんの言葉もわかる気がするんです。今見えているものは全てではない。今やっていることは本当に今やるべきことなのだろうか?どうでもいいことにこだわってないか。貴重な女性の時間を費やすにふさわしいことをしているか?とか。
人生は全て不確実なものと理解した上で、可能性を高めていこうね、という言葉も。
感想を語っちゃって本題に入れてないわけなんだが(笑)
私がこの記事にコメントしたのは、平家物語に出てくる女性たちに興味を持ったからです。
特に、最も気になった女性は平清盛の正室、平時子です。時子は決して平家物語の主役級ではありません。が、平家が栄華を極めるまでと絶頂期、衰退期、そして滅亡まで全てを見届けた唯一の人物だと思います。
共に栄華を極めた夫・清盛は、力をつけてきた源氏をうざったく思いつつもその後全滅するだなんて思ってもみないだろうし、平家と命運を共にした時子と清盛の子どもたちだって、栄華を極めた後の平家しか知らないのです。
こんなことはどこにも書かれていないので推測でしかないのですが、きっと時子はとても孤独だったと思います。その身に降りかかった責任の重さも凄まじいものがあったと思います。
私がなぜ時子という女性に強く惹かれるかというと、それは時子が最後まで自分の人生を放棄せず、目の前の現実から目を背けずに責任を果たそうとしたと思えるからです。
深く印象に残るシーンは、やはり壇之浦で時子が安徳天皇を抱え、入水する場面です。
この時の時子の覚悟の強さがうかがえます。時子は、平家がだめだと悟ると、かねてから用意した衣装に着替え、手短に安徳天皇を説得し、ついてくるものは後に続きなさいといい、海に入ります。
見方によってはひどい人間だと思います。
孫である安徳天皇を、平家の勝手で道連れにした。滅びるなら自分達だけで滅びればいいのに。実際、頼朝は建礼門院徳子と安徳天皇には危害を加えないよう指示を出していたそうです。
それでも時子は安徳天皇と神器を渡しませんでした。私は、時子はあえて汚れ役を引き受けたのでは?という気がします。本来ならこの役は、安徳天皇の生母である徳子にこそふさわしいと思うからです。でも、娘である徳子にそれをさせるのは酷だと思ったのかもしれません。あるいは、徳子にはその覚悟がないと見抜いたのかもしれません。実際、徳子は死にきれなかったので。
もしこの時入水をしなかったら、時子は普通に余生をおくれていたと思います。
だけどこれも、後世の人間である私だから言えることです。
時子の選択が正しかったのかどうかはわかりません。が、彼女は自分の人生から逃げず、夫のまいた災いの種を回収したのだと、私は思いました。
なぜなら、逃げるのはある意味楽だからです。
源平合戦で首を斬られた夫に続いて、悲しみのあまり身を投げてしまった妻もいます。また、仏門に帰依することが憧れだったこの頃なら、そうして来世のことを願うのもよかったかもしれません。そういう人はいっぱいいたので。
でもそうせず、最後まで平家を見届け、自分の手で終わらせる方を選んだ……と、後世の人間である私は、都合のいい想像をしています。
現代とは価値観が違うので、死を選ぶことはいいことだとは思いません。が、時子の生き方から「責任をとるとはどういうことか」「芯の強い女性とは」と、考えさせられるのです。
自分の責任を取るというのは、誰が悪いかという悪いもの探しをしてその矛先を自分に向けるという事じゃないんですよね。
むしろ自分に何か原因があるなら、それは自分次第で変えていける自由がある事なんだと思えば良いんじゃないかと思っています。
※刑事・民事責任を問われるような事は上記に含まれません
枝葉でなく幹や根を見て、
自分で自分の生き方に真剣に向き合うこと。
それが自分に責任を持つことだと、
わたしは思っています✿
生き方に真剣に向き合うということは、
自分の中にスッと通る選択をすること。
間違えても、また選択し直し続けることです✿
人のせいにしたい。
何かあると自分が害みたいな発想しんどい
不安はあるけど、不安に思う発想はやめようと、ここで前向きであろうことを書いたり日頃からも修正してたんだけど
今日は本当に糸切れるみたいに自分責めてた。
どこにどうぶつけたらいいかわっかんない。
相談するようなものではなくて、もう目的は決まってるけど
思うように進まないことに苛立って、自分にすごいムカついてた。
壁殴ってちょっと痛い思いでもしないと落ち着かないくらい。
殴ったよね。普通にかべ。
人に嫌な思いさせなければ自分には何やってもいいでしょってものがあるし。
環境が悪いよ!とか親が悪いよ!とか誰かが悪いよ!とか言いたいけど、
言ったとこでなんになる?虚しくなる、でもじゃあこの不安どうすんの? 自分責めるしかないでしょみたいな。
その方法しか知らないし。
昔から何かあると自分が悪いんだってしてきてるし、それしかしらないし。
発散方法しらない。
たまりに溜まると、なんで私こんなに自分責めなきゃいけないの?ってそれにすらイライラする。
頑張り語りてないからこんな思いするんだよ
まだラインにすらたってないからだよ
なんかしんどい。こういうこと思うの。
口には出さないだけで、何かのせいにはしてるかもしれないけど。
信じてない!とか
あなたのせいだから!なんて人に言わないし
そうやって素直に自分のきもちだせんのすげーなぁっておもうけど
誰かにそれ伝えて、そんなことないよって言われたところで
いや自分が自分を否定してるのでなんとも…みたいな
優しい人が周りには居てくれて救われることが沢山あるけど
それに貢献出来てるのかもわからない
不安が大きくなってマジで頭ぶつけて割ってやりたいって思ってしまう。そんなんしたら死ぬけど。
こういうクセ治したいから
ぐっと抑えてる
誰も悪くないんだよな
発想さえ変えればいいだけなんだよな、それが出来ないんだよな…
「こういうことで辛いんです!」とかじゃないし、それは自分でやってけるし
息抜きしたいわけでもないし
本当にね、何も考えない時は考えないのに
やるって決めたら
少しの失敗も許せないくらい苛立つ。
別に環境悪くない。
幼少期もまぁ色々あったけど、そんな事関係ないし
今、できるか、やるのか、やらないのかそれだけだから
ここでもう少し踏ん張れたらいいし。
病気のせいとかにもしないけど、
ほんとうは
もーみんなが悪くてみんながダメなやつなんですーとか言えたらいいのかな?とか思って
いやそれは違うなってなって
もうだめだイライラする
彼の事も今考えることも1回全部捨てたい。
こんな私だから相手されないんだよとか次から次へと出てくることを食い止めたい。
本当は不安で仕方ない、もうそれしか考えてない。
大丈夫なのか分からない、1人で凛としてられるか分からない
もう全然嫌ですよ
また相当落ち込んで病院みたいなやつ
本当にむり
それだけは避けたい
別に理解して欲しかったわけじゃないけど意味わからないとか言われると
ただ自分せめてアホなやつみたい
発散方法しらなくてそうなって、
何それ?みたいなバカにされるのも馬鹿みたい
いや病気が悪いとか全然思ってない
そういう思考をしてしまうことに原因がある私に原因があるからなにかに当てはめてこれがこうだから悪いとかそんなんじゃない
結局自分が自分を守らなきゃ
守ってもらえることないから
そういう意味では努力してると思うけど
誰かに頼ってなにか失敗あると見離されるのが怖いだけなんだな
連絡しすぎないのも考えすぎないのも自分のためだから
信じてくれていいよって言われた時(彼じゃない)
めっちゃ楽だったけどな
私は口に出して「信じられない人なんて」とは言わないけど、心の底では
信じたらダメみたいな制御があると思うし
「◯◯が悪い!」とは言わなくても
どっかしらで感じてるだろう
なんで自分はこんな思いをしなきゃいけないのか
って考えた時に
自分の責任でしょって即答で、自分から来るから
あぁじゃあ頑張るしかないか
ってなる
彼と楽しそうな人も、充実してる人も
ひねくれて批判なんてしないけど
ただ羨ましい
愛されてていいなって思う
その裏で努力の積み重ねがあるのもわかるけど
私には何が足りなくて何を補えば愛されるのかわかんないな
いや、でもそうじゃない
私から人を愛していけばいいだけだ
別に男に絞らなくても
家族とか、友達とかさら自分自身とか
こんな私だからじゃあ何やってもいいとか
奔放に男と会ってワンナイトしようとか
そんなん考えもしない
むしろ拒絶してしまう
訳わかんないな
書かなきゃ落ち着かないと思ってるけど
書いても落ち着いてない
今は冷静じゃないし余裕もない
頭冷やさなきゃわかんない
おぎゃーって生まれた時
赤ちゃんには快と不快しかない
色んな概念の中で育って
「貴方は こう感じなさい こう思いなさい こう考えなさい」
と教わる
感じる事と考える事が人は違う
どう感じてどう考える人になるのか?
それは親とか兄弟とか環境だけで決まるわけでない
赤ちゃんは色んな要素から学習して育つ
場合によっては人の世に必要だからその概念が 「その人」 に備わったりもする
「どうして自分はそう感じてしまうのか そう受け止めてしまうのか」
自分が考える範囲にその答えがない場合もある
そうすると人は自分探しの旅に出るらしい
そういう考え方で人の人生を見て行ったら その旅をしている人は大変だ
自分の概念がどこから来るのか、人は色々人生という遠回りな旅をしてやっと知ったりする
そんなのアホらしすぎないか?
でも、結局それが「概念」だったのだと知ったりもする
人が長い旅をしてそれではあんまりだと思う私の気持ちも そういう角度に標準を合わせて語れば
拘りの一言になる
もちろん、色々な人や物事との出会いで
こうあるべきだとか、変わっていく
変わっても良いのね
いつだって幸せを望んでいけないという事はないと私は思う
私が言いたいのは、これまで人から聞いて 聞きすぎて 聞き飽きたような人生探しのなんちゃらではなくて
拘りを断てば正解とかそういう話でなくて
(そんなの、禅寺で修行をしても殆どの人が掴めないで終わる超人の悟り、ある意味での幸せだろうと私は思う)
拘ってしまう自分にも、色々な概念の中で育って来た人間にも、その人の幸せがあるのだと思いたい
私は超人でない幸せに生きたい
そして今
ここにそう思う私がいる
それぞれの人のそれぞれの拘り。
それは人生の課題であり、
幸せの扉を開く、鍵。
問題の裏は答えになる。
不幸の裏は幸せがある。
拘りを手放してたら、
この世での答えは見つからない。
貪欲に拘ることの方が
この世では必要なのだ。
NOと言うこと、境界線をしっかり引くこと。
これがわたしの人生の課題で、
幸せの扉を開く鍵だった✿
きっとあの人も、同じ。
そうふと思いました。
先ほどは時間がなく書ききれなかったのですが、『平家物語』には私の中でもう一人、印象深い女性の登場人物がいます。
それは清盛の五男・重衡の妻、藤原輔子(すけこ。漢字出てこないから以下ひらがなで笑)です。
初めてその場面を読んだとき、お恥ずかしいのですが自分の過去の経験や、このブログで学んできたことがとっさに連想できた気がして、涙が出そうになりました。ていうか出てました。
それは、重衡とすけこの別れの場面です。後から知ったのですが、この場面は平家物語の中でも有名なものなんですね。
一ノ谷の戦いで捕虜となった重衡は鎌倉に連行され、さらに奈良の僧の元に引き渡されることになります。この時点で、頼朝でさえも彼の命は助けることができず、斬首となる運命が決まりました(たぶん)。そこで重衡は、死を前にして妻・すけこに別れを告げにいくというシーンです。
このシーンには、決して文字には起こされない真実が多く詰められていると思いました。
まず、男性は何をモチベーションに日々を過ごしているか、ということです。
平家物語は軍記物なので、戦いが激しくなるにつれて女性に関する描写はどんどん減っていきます。しかし、そういうときこそ実は女性の存在が大きいのだと、この場面を通して思ったのです。彼らも人間です。たかが800年くらいで現代人と心の作りが変わったりはしないのです。
これは、遠距離恋愛の話にも繋がります。
すけこの話ではありませんが、平家の一門の中には、都落ちの時に妻子を同行させず、都においていった者もいます。しかし、彼らが戦場で思い詰めながらずっと考え続けているのは妻子のことなのです。
重衡もきっとそうだったのではないかな、と思います。常に心の中で相手を思っているという女性的な愛情ではないのかもしれませんが、彼女がこの世界のどこかにいるから今日も戦場に立てているんだと、本人が自覚してるかどうかすらわからないような……そんなイメージです。
きっと、男性の愛情は、持続性が高いんですね。
すけこと再会した重衡は、以前の立派な姿とは打ってかわり、みそぼらしく汚い姿となっていました。そして手短に自分が斬首になること、だからもうこれが最後になるということ、来世でもすけこと夫婦になれることを祈っているということを告げます。そして遺髪を残して去っていきます。すけこは泣くことしかできませんでした。
後日、すけこは首のなくなった夫の体を引き取り埋葬し、出家します。そこに人の感情は描かれていないことが、かえって想像力を掻き立てられるような気がするのです。
すけこも、時子とは違う形で現実を受け止めて生きていった女性に思えます。
もうひとつ、この場面を読んだとき思い出したのが、時間制限に関する記事です。遠距離の強みは、限られた時間にイベントが凝縮するということ。死で引き裂かれる重衡とすけこにそれを当てはめるのは軽々しすぎる気もしますが、本質は似ていると思います。限られた一瞬に全てが凝縮されていて、だからこそその時間が輝くものになり、互いの心に残るのだと腑に落ちました。
最後に……これも私の憶測でしかないのですが、時子が最後まで頑なに神器を手放そうとせず、神器と共に壇之浦に沈んだのは、責任感とは別に、重衡の母としての意地もあったのかもしれない、と思いました。
重衡が捕らわれたとき、朝廷(?)は、神器と引き換えに重衡の命を救ってやってもよい、と平家を軽んじる交換条件を出してきます。
時子は、愛する重衡のために神器を渡すよう、平家一門の前で泣いて懇願しましたが、果たされることはなく重衡は首を斬られました。
物語には描かれませんが、きっと、重衡の死は時子の人生にとって大きなターニングポイントだっただろうと思います。
壇之浦での決意の強さは、重衡の命と引き換えにまでした神器を絶対に渡すまい。重衡の死を無駄にしないためにも、という気持ちがあったのかな……と思いました。
あ、可憐ちゃんがいた(^^
>NOと言うこと、境界線をしっかり引くこと。
>これがわたしの人生の課題で、
> 幸せの扉を開く鍵だった✿
>きっとあの人も、同じ。
>そうふと思いました。
響子@王様を見た猫モード スイッチオン
あの人も同じ あの人と私は似ていると思う
そう「感じている」と、どうしたって自分と相手の境界線がぼやけてしまう
感覚の中に混乱が起きるのね
だから 「考える」部分で客観的に
まず自分を見つめる
自分の感覚の中で今混乱が起きていると 自分を見つめる
相手も見つめる
「同じ」「似ている」それと同数以上の「違う」「似てない」を見つける
自分が一定の角度から見て
「似ている」「同じ」と判断していないか
数歩離れて見なおす
相手と自分という関係を見る窓を、なるべく多く持つ
でないと、相手と自分の境界線は曖昧になるはずなんですにゃ
人の心の理(ことわり)から考えてそうなりますにゃ
王様を見た猫モードスイッチオフ
ある種の人間嫌いな人は意図的に上記をやらなくても大丈夫なんですけど(笑)
「黙れ人間」
って、根本的な部分がもののけ姫のモロみたいになっていると、
人の一面性や一部分に共通性を見た位では
自分と相手をイコールになんてとても出来ないですから。
あとは自分の事を神だと言い出すような人も大丈夫だと思います(笑)
そういう人は絶対に自分と相手(人間)をイコールとは思っていないので。
そうそう。
同じを感じていたから
境界線が曖昧になって、
そのあとたくさんの違うを感じて、
たくさん抵抗を感じて、
ようやく境界線を引いたら、
同じと違うをはっきり感じたんだ✿
あの人と同じ課題だったけど、
それに対して何を選択するかは違う。
いまは違うね、
また交わるときがあるのなら、
そのときねって思えた。
だから遠くへ旅立つ決心がついたのよね∩^ω^∩
まさに境界線を引くのが
扉を開ける鍵でした✿
たくさんの抵抗も、違いも。
全部自分のことを知るチャンスだった✿
すべてが相手と同じなら、
知ってる自分だけしか見えないけど、
相手との違いを感じることで、
知らない自分が見えて知れた。
はっきりわたしはこうだ、と自覚した✿
相手との違いを、
それもいいね!と採用してゆくことも、
いいと思っても採用しないでゆくことも、
それは違うと嫌うことも、
違いを同じに変えようとすることも、
わたしはわたしと貫いてゆくことも、
いろいろできるけど、
何においても自分の中をスッと通る方を選ぶ。
それでよいのだと思った。
同じも違いもあってよくて、
その中から見えなかった自分を知り、
自分の中で決めてゆく。
そうして生きていこうと、
確信を持ちました✿
だからわたしは自信を持って、
境界線を引いてゆきます。
うん。∩^ω^∩
応援してます
落ち着きました。100から60くらい…
今の不安を少し脱出して次の悩みがまたひとつ出来ました。
でも、やっと軌道に乗れる…自分責めてたけど、責め続けて諦めなきゃいい。
ただ、立ち止まってもんもんと悩むよりも動いてく中で悩ませてほしいってイライラしてたから
それが出来るキッカケが出来てホッと一息…
またそこから気合い入れて進めていける(;´_ヘ;)
人と触れてく中での悩みなら、前進するための良い悩みだから
ここでまた、踏ん張ってかなきゃ。
自分の描いた幸せが、いたるところに散らばっています。気付けて良かった。
出発点はここ。
Kouさん、お久しぶりです。またね❤︎
最近投げやりなんだと思います。
昨日彼の家に初めて行きました。彼はドキドキして居たようですが、丁度食事も済んでのんびりタイムの時に、私が「遅いから帰る」と言ったので「えっ」と言った感じで拍子抜けしていました。
また来てね、今度はゆっくりしたいねと。
したいけど、心の準備が出来てないと、ダメだー!ってなる彼です笑。
一つずつ少しずつな彼のペースは理解してるので想定内です。
でも、キスをして帰されてしまった事、頑張ってキスをしてる彼を見たら、セックスなんて怖くてとてもじゃないけど出来ません。
肉体関係ほどダイレクトに伝わるものはないから、また傷つくのが怖いです。。
でも私もとってもしたいし、彼のペースに任せて私はいつも餌をまいて待ってます。気分が乗った時だけ。
でも、昨日は彼の家に急に行きたいと言ってしまったのは、どうしたものかなあっと思いました。完全に防御体制でしたけど。。
自分で自分を大切に出来ていないモードです。
仕事辞めると決めて、辞めるまでのこの期間がなんだか孤独で辛いです。
それを彼で穴埋めしようとしてる感があります。
24時間365日私の事を考えていて、私のそばにいて。って気持ちです…。
情けないですよね。
彼になんとかしてもらおうと思ってるのかしら。
彼は彼自身の事を毎日一生懸命頑張っています。
私の事は結局は自分でしかどうにもならない、なんとかしないとダメだなあとストンとしました。うん。当たり前なんですけどね。
昨日は短期的欲求でした。短期的欲求って、自分で自分の事が出来てない最たるものだなって。
だから、逆に辛い。根本的な問題は別のところにあるから、何度でも足りないと思う。
自分の中にある問題を解決するのが最短。
彼にもし、寂しさや辛さの穴埋めで私と一緒に居るなら、こんな腹の立つ悲しい事はありません。
今心がヨレヨレで、無な感じですけど、やれる事をしっかりやります。
私の事は私がちゃんと面倒をみます。それが一番の解決。
1日連絡しないときゅんきゅんいって鳴きますが彼は置いておきます。
この記事を読んで、特殊な事情を言い訳にしない強さが素敵だなあと思いました。いつだって今の自分に何が出来るのか、なのですよね。
今日彼にちょっとストップかけました。悲しませたかもしれません…でも、きっと彼は素敵な人なんだろうなあと感じていて、だから余計に何か引っかかるものを無視できないと思ったから、これでよかったはず。一歩一歩確かめながら進んでいきます。
以前この記事を読んだときは少ししか見なかったのですが、今回はちゃんとまじょらむさんのコメントを全て読んでみました。
その上で、記事をまた読み返してみて、ここが目につきました。
>恋愛でも、彼が悪い、親が悪い、環境が悪い、自分の育ちが悪いという理由で、勝手にさじを投げようとする女性のなんと多いことか。
まじょらむさんのコメントの中で、何度か
「病気になってみてから、好きな人がいるということの幸せに気づいた」
という主旨の言葉が書いてありました。
今までは付き合うという事実にこだわってしまっていたけど、今はそうではない。心持ちそのものに目を向けられるようになったと。
今の私には、すごくストレートに理解できました。そして、ずっと私を見守り、相談に乗ってくれていた男性の言葉を今さらながらに思い出したのです。
私が、以前グレーな彼とのことでもう立ち直れないかもと思うことがあったとき、
「好きな人がいるというのは素晴らしいことです。それだけで世界が明るくなる」
こんなことを言われました。
渦中にいるときはあまりピンとこないのに、こういう言葉は後から理解できるのかもしれません。
この時、この(相談に乗ってくれていた)彼も彼で、何度も辛い玉砕を繰り返していました。
彼は本当に夢中になれる相手を求め続けていました。そして、今はおそらく手に入れています。
そういう男性だから言えた言葉なのかもしれません。
好きな人がいればそれだけで100%満足かと言われれば、もちろんそうはいきません。
しかし、当たり前のことではないのだと、気づきました。
彼と出会えたことは幸せなのかもしれません。
だから、勝手に匙を投げてはいけません。
涙が出ました。。
ここ最近ずっと記事一覧をはじめから遡って読んでいます。
あれもこれも失敗だったなーと思いながらも
終わってしまったことは仕方ないので
前を向いて仕切り直し、です。
kouさん、本当にありがとう。
これからも恋愛のお勉強させてもらいます。
>>自分で責任をとるというのは、自分で面倒を見るということです。最後まで。
自分をフォローすること、か。
相手のせいにしてても楽ではないですよ(´-ω-`)
憎しみや恨む、まではいかないでも、
それに似たような感覚になるのはやはり
苦しいです。
自分を責めるのは、苦しいとは違って
明るくは生きられないですね。
なんでもかんでもネガティブになってしまうから。
受け入れて、納得して、自分をフォローしていく。
後悔だけはしたくないですね。
自分のことは自分でフォローする。
自分の不機嫌は自分であやせるし
自分で楽しいことも探せる。
それ、かっこいい。
あちゃーなことをしてしまいましたけど、自分が未熟だったのです。だから、数ヶ月経って、未熟だったことが分かったからこれから過去の自分のミスをフォローしてあげます。
相手のリアクションは分かりません。
想像はたくさんしました。
けど、ほんとのほんとのその瞬間どうなるかは分からない。相手がどんなリアクションでも
よかったと思えるようなことをします。
過去を見つめ直すのも大事だけどそれはもうやりつくしたから、
あとは始末をつけてくる。
この記事にはいつも励まされます。
昔から周りや相手のせいにする人が嫌いでした。
でもふと自分の恋愛に置き換えて考えたら、「相手が悪かった」と言い訳している自分に気づきました。
忍耐力、感情のコントロールがまだまだ未熟なんです。
その分、見切りをつけるのも早いです。女性の勘が働いて、恋愛で泥沼にはまることはありません。
わたしは自己解決できる女性です。
失敗したことにも責任をもって、自分で自分を幸せにしていきますね(^^)
『どうして上手くいかないんだろう??』
→『私のやり方が悪いからだ』
→『私がちゃんと状況を読めていなかったからだ』などなど
自分を責める方向で責任を考えていました。
暗い子になっちゃってました。
環境や周りのせい、病気のせいと他人のせいにして自暴自棄になったり、、、
全部自分が悪いと自己嫌悪に陥ったり、、、
繰り返し。
自分で言うのもなんですが……本当に極端です。
結局、ずっと逃げてる。
自分と向き合えていない。
前より少し受け入れられるようになったと思っていたけれど、まだ自分を受け入れられてないようです。
ちょっと最近、心が不安定で自信喪失。
自分の行動に自信が持てなくなってしまいました。こわい。
この記事読んで勇気をもらえました。
体調戻して、また読み返そう。
また始めよう。
今の私
自分のことフォロー出来ていませんでした。
ちょっと疲れてるみたいです。
(落ち続ける人にはなっていません)
自暴自棄ではありませんが
一旦、全てのことから離れたい。
リセットしたい気持ち。仕事も。
色んなこと頑張りすぎました。
なので頑張るのやめました。
ふと休憩、平穏が来て
どっと疲れが出たのか……??
これでいいのか!?
まだまだ出来るはずという思いもあり……複雑。
(今まで追い込まれ&自分で自分を追い込みすぎていた所もあります)
ヒマ疲れ??
忙しくした方が良いのか休憩した方が良いのか??
身体と心が思うようにいかない。
気持ちだけがはやります。
変わる、変えるのにも
エネルギーが必要ですね。
とりあえず風邪を治します。
自分の体をフォロー。
目が覚めたら眠れなくなってしまいました。
おやすみなさい。寝ます。
これは、きっと
できていると思う。
したいようにしてるから
自分でどうなっても
納得できると
常に思うし、
誰が言ってたから
そうするじゃなくて
誰がこう言ってたけど
自分は本当にそうしたいか、
それによって
どんな結末になっても
自分で納得できるか
まで考えて
行動しています。
昔は、
自分の人生なのに
人任せの
流されてるタイプでしたが、
変わったと思います。。
うまくいかないときは、
これもいつかは報われる
そのための失敗
そのための悲しみ
そのための怒り
(あまり怒らないと思ってたけど
心の中では葛藤が多くある事を
最近気づかされました
表に出ないだけでした
他者に責任転嫁してる部分があるかも
しれません)
と思うようにしています。
人生幸せだけじゃつまらないと思うし
が口癖だったんですけど
これって不幸になりたい病の一種みたいで
友達に
何言ってんの優ちゃん
幸せには上限なんてなくて
幸せは突き抜けて無限に上があるんだよ
なんで不幸になろうとするの?
って言われました。
私はお友達に恵まれてます…
kouさん、いつもお世話になってます(^-^)
自分の発言に責任を持つっていう意味を捉え間違ってました。
今までも自分なりに発言に責任を持ってきたつもりでしたが、その方法はブログの最初の方にあったように自分を責めることでした。
間違ってたら、自分を責めて傷つけます。その痛みと引き換えに責任とします。
こんな風にしてました。
今は、自分の発言に自信が持てません。自分で自分を責めて傷つけるのに疲れたので、発言したくなくなってしまいました。
主張できない。防御線張るのも飽きたし疲れたし何してもどうせ自傷行為しなきゃいけないならもう何でもいいよ。私が全部悪いんでしょ。
「考えてほしいのは、自分のことを自分で最後までフォローし続けることです。
自分の人生がうまくいくかどうかを、自分で決めることです。自分で納得して進めようと思う気持ちをもってもらうことです。」
最後まで面倒見ること…責任取るってそういうことなんですね。責任って、原因と結果を調査する話じゃ無くて、今後どうするか主体的に考えるっていうことなんですね。
私が全部悪いなんて到底納得できないし、自傷は疲れたし面倒見切れないので、
kouさんの言葉を胸に新たな思考で責任を持っていたいと思います。
喧嘩のち一週間連絡とりあわず、どうしようかなぁと思っていましたが、
こちらの記事を読んで、私から謝ってみようと思いました。
あのときは怒り方が度を越してしまっていたし、
負けず嫌いの私は素直に謝る経験をした方がこれからの人生が豊かになると思えたからです。
どうせ私が悪い、わかってもらえない人間だって負の感情がでてきてしまうのですが、
やっちまったな!でも仕方ない!と笑ったら楽になりました笑
自分で自分を幸せにしまーす(^-^)
上の自分のコメント。
このときはまだ人を見切ったり見捨てたり、
離れることはものすごく相手に悪いことで、
やってはいけないこと…と、
頑なに持っていた固定観念と、
実際に離れて自由になれてるよね?
幸せな自分になれたよね?
という新しい観念が戦っていた時でした。
だから心では「違う」し離れたい、
とわかっていつつも、
そう思ってしまうことで、
古いわたしがとても痛みを感じて、
「同じ」というキーワードを使い、
つながってるから「見捨ててない」
として安心を得ていました。
わたしにとっては、
その人を見切ったり、離れることに、
とてもつよい罪悪感を感じてたんですね。
だから恋愛時に見極められてるのに、
行動できない。
わかっているのに、そうできない。
そんな状況になっていたのだと思います。
そんなとき、
同じは危険とコメントいただきました。
そんな渦中だったので、
そっとしておいてほしいな、
と、思っていたのを覚えています。
宿題をしようと思ってるのに、
宿題しなさいと言われた気分で。笑
反発しながらも、
うん、わかってる、
という両方の気持ちがあったなぁ、
ということを告白しておきます。苦笑
きっと心配なお気持ち
だったのだろうと思います。
反抗期でごめんなさいです。
「見切るのがいいのに見切れない」
ここには自分から離れることへの
罪悪感が絡んでたのですが、
その罪悪感がある限り、
自分から離れてゆく人や、
近寄ってくるのに離れる人に対しても
執着心を燃やしやすいのだと気付きました。
長いので次へ→
「見切るのがいいのに見切れない」
これをよくよーく見つめてみると、
自分で決めることを放棄してるんですよね。
決まっているのに、
自分で決められずに、
相手が決めてくれることを望んでいる。
相手が近寄ってくれれば、
変わってくれれば、
見切る相手だ、と思った自分が帳消しになる。
相手が離れてくれれば、
見切る相手だ、と思った自分に
見る目があったとなる。
どっちにしろ、後出しジャンケンを
しようとしていたわけです。
罪悪感を感じないために。
果たして、それは自分のことを
自分で面倒見れているのか?
自分で自分の責任を持っていると言えるのか?
としたら、バリバリの他人軸で、
相手に責任を転嫁しています。笑
長らくこの罪悪感との葛藤は続きましたが、
彼の責任転嫁を細かく分解分析しているうちに、
自分の責任転嫁にも気付けたんです。
明らかに違う人間だけど、
引き寄るというのはどこかに同じ部分か、
凸凹がハマる部分があるものです。
ここらへんは「同じ」部分が
引き寄っていたわけで、
彼を責めていたけど、
わたしも同類だったなと思うわけです。
彼もまた、「後出しジャンケン派」でした。
「欲しいと思っているが、できない」
「別れたいと思っているが、できない」
欲しいと思っているが、
別れたいと思っているが、
自分でそれをした時に生じる
責任を取りたくないし、
自分の取るはずの責任も
できれば相手に取ってもらいたい。
そういう交渉の持って行きかたを
しているのに気付きました。
わたしに対してだけでなく、
元カノに対しても全く同じことをしてました。
それに気づいたとき、
この人は自己責任を取りたくない人なのだ。
….ああっ!それはわたしもだった!笑
とそそくさと自分の中で決まってた通りに、
見切りました。笑
彼はその部分を自覚してるかは知りません。
というか、それは彼の自由ですし。
でもわたしは自分の責任は
自分で取れる人でいたいです。
その清々しさを知っているからです。
知っているのにできなかったのは、
見切る罪悪感のためで。
まず、「後出しジャンケン」をやめて、
自分の中で決まっていることを
表に出すようにしてみました。
もちろんザワザワします!
罪悪感がおっかけてきます。笑
でも罪悪感に飲まれずに、
仲間にしてみます。
そしてこの罪悪感はなんなのか?を
徹底的に向き合い続けました。
結果、人間の根本的な、
「どうあがいたって
他人と完全に重なりきれない、
虚しさと寂しさ」
誰の中にも種としてあるものが、
どんどんとカオナシのように
肥大化していったものがあったからでした。
それに気付いたら、
肥大化したものは消えて行き、
ただのカオナシが残りました。
完璧に重なり切れないから、
虚しさや寂しさはあるね。
でもそのズレがあるのが人間よね。
って、以前の肥大化したカオナシがいた時より、
ずいぶんと楽に、
そして当たり前のように
思えるようになって来ました。
そうなると、見切ることや離れることに
強い罪悪感を感じなくなり、
反対に相手を心配することや、
執着したりすることが減ってきて、
本当に生きやすくなりました。
以前にも増して。
自分で責任を取りたくない!
(相手の責任を取ってあげようとするときも)
というような行動をしているときは、
肥大化した罪悪感があって、
罪悪感が肥大化するきっかけは、
ただのひとつぶ、
だったのかもしれません。
ひとつぶ、に戻れば、
自分で責任を取ることに、
抵抗は生まれない、そんな体験をしました。
ちなみに肥大化したカオナシは、
自分自身をコントロール、
拘束しようとします。
本来の自分の気持ちや意見、
こうしたいと思うことを否定してきます。
なぜなら、彼らの目的は、
肥大化のひとつぶの種をなくすこと。
わたしの場合では
「完璧に他人と重なり合えないこと」
をなくすために、
「完璧に他人と重なり合える自分」
を求めるからです。
そのために自分を拘束、
コントロールするのです。
したいことをしてたら、
「完璧に他人と重なり合える自分」
にはなり得ないからです。
でも本来の自分も残り続ける。
ゆえに自己の意見の対立が起こるわけです。
と、いうのがかつてのわたしの中で
起こっていたことでした。
カオナシたちは
「完璧に他人と重なり合える自分」
になることで、
「完璧に他人と重なり合えないこと」
で生じる不安がなくなると思っていたのです。
一見、それは理想のわたしであり、
目標に向かって行動している風ではありますが、
それは本来のわたしの向かいたい先ではなく、
自分を曲げて無理して背伸びをしていた、
ということでした。
本来は、我が道を行きたいし、
要所要所で他人と重なり合う
機会があればよいのです。笑
その要所要所が素晴らしいんです。
それがわたしの理想なのに、
・独創的、個性的で周りとなじめない
・気まぐれで、継続的に人に寄り添えない
と、自分を否定しまくり、
・独創的を抑えて、周りに合わせる
・気まぐれを抑えて、継続的に人に寄り添う
と、肥大化カオナシのコントロールに
イエス!としてたんですね。
ほんと、とことん
「完璧に他人と重なり合える自分」
を目指してたなぁ。
いやいや、無理だってば。笑
とてつもないわ。
いまは、
「要所要所で他人と重なり合える自分」
要所以外は我が道をゆく。笑
こんな人によっては当たり前のことを(笑)、
ようやくそれでいいんだと思えたことに
ものすごい安心感を得ています。
カオナシも完璧を求めていたけれど、
それが人間なんだな、
とようやく安堵している感じです。
わたしの心の中の解説、
長編にて失礼いたしました!笑