17Oct
Kouです。
まず、最初にアナウンスです。
もう分かっていると思いますが、12時間恋愛技法レッスン2021をやります。すでに予備講義を出してしまいました。
このレッスンはブログ上で行うプログラムです。参加費無料です。
あんまり無料無料言いたくないんですが、問い合わせが来るので仕方がありません。
無料です。プログラムに参加するに当たって、何かあなたが支払わないといけないものはありません。
参加するための唯一の条件は、メルマガに登録していることです。
ずっとブログに来ていながら、未だにメルマガに登録していない不届き娘がかなりたくさんいるようです。
いいから早く登録しなさい(笑)。
「今頃遅い!」とか言って怒ったりしませんから(^^
12時間レッスンとかいう大変なものを、突然今やり出したわけです。前回は2017年でした。つまり軽く3、4年くらいは前なんです。また来年もやるかどうかは全く分かりません。
もしかすると本当に次はないかもしれません(^^
後で必ずと言っていいほど出てくるんですよ。
「こここ、こーさん、出遅れました・・・今からでもレッスンに参加したいです。」
いいんですよ、もちろん。
途中参加してもらっても全然問題ありません。
でもね。
途中参加したら、全クリ特典はないです。
ここでニヤニヤしているあなたは、12時間レッスンの経験者ですね。
そうです、12時間レッスンは全問解答した女性に限り、特典があります。フルコンプ特典というやつですね。
みんな好きでしょ、フルコンプリート。
途中参加自体はできますが、1時限目から12時限目までの全てのレッスンにきっちり解答しないと、その特典にはありつけません。
「えっ、でも途中参加しても1時限目から解答したらいけるんとちゃますのん?」
いけまへん。
ダメなんです。きっちり時間通りに、確実に解答しないとクリアとは見なされません。正解はしなくてもいいですが、正しく解答提出を期限通りにやってもらう必要があります。
ということで、まだメルマガ登録していない不届き娘の自覚がある場合は、分かったらさっさとメルマガ登録申請を出してください。
メルマガ登録申請は、出したら即登録されるものではありません。僕の審査があるので多少は時間がかかります。
どんなに遅くても1時限目のレッスンの解答締め切りまでにメルマガ登録がされていなければ、案内を受け取ることができなくなります。
メルマガ登録はこちらから登録申請を出してください。
メルマガにはどんなことが書かれているんだろうと気になると思います。
実はブログとは違う話をしていることも結構あります。
何日か前に「満足させたいんです」というメルマガを出しました。
男性の何気ない行為は、女性には理解できないものがいくつかあります。しかしその行為は、満足させたい一心でやっていることなのかもしれないという話をしました(^^
ふわふわ白ネコさんより:
満足させたいんです
なんだか腑に落ちました。
私は実家に両親と3人で住んでいるのですが、夕食はほとんど父が作ってくれます。
母が作った食事は父の栄養補給には適していないようで、あまり好んで食べません。よっぽど仕事で疲れて帰った時は、食事を作らないといけないことに文句を言っています。ただ、父は私たちのための料理を作るときには喜ばせようと工夫してくれます。猫ちゃんや雪だるまの形の大根おろしや、グラサン顔のおにぎりなど、挙げればキリがないです。時代が違ってたらキャラ弁も作ってたんじゃないかと思うような力の入れようです。
でもね、自分のご飯は普通なんです。楽しんでいる様子はありません。食べたいものを食べたらそれで終わりのようです。
満足させたいのですね。こういう感覚を持った男性が、まにんげんに近いのだろうなぁと、思いました。
😎
こういうやつですよね、グラサンおにぎり(^^
分かりますか、ただの遊び心じゃないんです。楽しませたいんです。
あなたにもこういう思い出があったりしませんか。
多分あるはずです。
思い出してください。
12時間レッスンでもこの手の話をするかもしれません。
あなたは愛されていました。間違いなく愛されていました。
忘れているだけです。
この手のエピソードは、思い出せるのならいくら思いだしてもいいです。
できればお父さんやお母さんなど親族からの愛情がいいです。
探せば絶対あるはずです。
すごい遠出ではなくても、ドライブに連れていってもらったとか、海とか川に連れていってもらったとか、ありませんか。
特に理由もないのにお菓子を買ってきてもらったとか、あると思うんです。
子供なんだから可愛がるのは当たり前でしょ、と思うのはよくありません。
過去に注がれた愛情というのは、見ようとしないと見えないものです。
特に子供の頃などは、鬱陶しく感じたりもするんです。
愛情を受けた記憶を思い出すのは極めて大事なことです。
それによって自分が何者であるかを再認識できるようになるからです。
12時間レッスンへの参加表明は、こちらの記事にどうぞ。
300件以上のコメントがついていますが、これからさらに増えます。まだ認識できていない人もかなりたくさんいそうです。
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コメント (31)
嫌なことをされた、言われたことばかり思い出すせいか、
そっちばかりに引っ張られます。
どうしたら同じような嫌なことをされないか、今後の対策を練っているはずなのですが、
気持ちが良いものではないです。
嬉しいことをしてもらったことを思い出してにやにやする日もあったのに、
どうしてこうなった(^-^;
してもらって嬉しかったことを思い出して書き出してみます。
同居していた祖母は、私に愛情を注いでくれていたなあ、と思います。
小学生の頃、学校から帰ってすぐに雑誌を読んでしまい、勉強しなかった時期がありました。
祖母が見かねて、私が帰る前に雑誌を押入れに隠すようになりました(笑)。
私が「雑誌どこ?」と聞くと、「宿題が終わったら出してあげる」と言うのです。
読みたくてたまらず不満でしたが、仕方なく宿題をやって、やっと雑誌を出してもらえると、気分良く読めてすごく嬉しかったです。
未だに忍耐力はないほうですが、あの時に「やるべきことを先にやる」ということを教えてもらえなければ、もっと自堕落な人間になっていたことは間違いありません。
厳しいけれど、人間としての成長を願っての深い愛情だったな、と、改めて感謝の気持ちが湧いてきました。
父は、ホントに思い出がありません。
母に怒鳴り散らされ叩かれ蹴られた後、悔し泣きしてる私に「あの人はしょうがない人だから」って言ってくれた、それが愛情、かな??
私はそんなことより止めて欲しかったけど。
母は、中高6年間、毎日欠かさずお弁当を作ってくれました。ちゃんとしたやつ。
理由は「お腹が減ると授業に集中出来なくて成績が伸びない」の他に、「自分の学生時代、まっ茶色で汁ビタビタのお弁当を持って行かされて恥ずかしい思いをしたから、子供にはそんな思いさせたくない」。
長い休みには旅行に連れて行ってくれました。
全部母が計画して手配して片道8時間くらい現地まで運転してました。
「自分はどこにも連れて行ってもらったことがない。それはとても惨めだったから、子供にはそんな思いさせたくない。」
私の望むこととはすれ違ってましたけど、彼女の愛情はお腹いっぱい受けました。
思い出したら泣けてくるけど、彼女とは距離をおく以外よい方法が思いつきません。
私への愛情はあると思うけど、近くにいると侵略者のように感じます。
彼女が亡くなるとき、どんな気持ちで見送ることになるんだろうと思うけど、どうしたらいいのか分かりません。
そう、わたしは愛されていました。
母親のこと、今も好きではないけれど、
高校3年間かかさずお弁当を作ったことは、
愛情がないと出来ない。
子供を持ったいまではそれがわかります。
そして、元夫にも。
喧嘩は何度もあったし、義両親とのいざこざもあったし、色々とよくたえてくれたなぁ、と心から思います。
やはり、離れると悪い思い出より、いい思い出が思い出されますね。
上記二人は、あんなに憎かったはずなのに、今はその憎しみは出てこないです。
あの人からも、今思えば、ちゃんと愛されていました。なんでこんなに不安になってしまうのか。
あの人にもずっと言われています。
「なにがそんなに不安なの」と。
わたしの不安のせいで、最初、少しだったはずの溝が、大きくなってしまって。
最初のころに戻りたいくらい、いまは恥ずかしいです。
わたしは、ちゃんと受け取れていたのだろうか。
わたしはわたしらしくいたらそれでいい。
そんな私を好きになってくれたのだから。
女として、愛情を受け取ることだけ敏感に。
わたしはどうせ愛されているのだから。
母の、若いころ借金して、普段からなにも考えてなさそうな楽観的で、馬鹿なことばかりして、自分自身を蔑んで、育児には放任主義で、子供の心配なんてせず、仕事ばかりで、祖母の文句ばかり言って、勝手に2度も離婚して…
そんな母親が嫌いだったけど。
こうやって書いてみたら、それぞれに意味があったんだな、とわかってしまいました。
子供に悲しんでる自分を見せたくない
明るい母親でいたい
寂しい思いをさせたくない
子どもには強く生きてほしい(信じてる)
こんな意味が隠されていたのかもしれません。
不器用にしか生きれないんだな、と思うけど、
わたしだってひとのこと言えないな。
母親と同じ生き方はしたくないと思っていたけど。
小学生のころは、毎年、車で県外に連れてってもらいました。
母親になった私は…
母のようにできているだろうか。
Kouさん
私の実の父はもう絶縁状態ですが、おじさんたちに助けられています。
おじさんたちは私に食事をごちそうしたいようで、私は忙しいです笑
職場のおじさんたちです。
ここにくるまではそんなふうに思われているって知らなかったから、可愛がってもらうことはなかったのですが、ここにきてからおじさんたちに大人気です。
近づいてくる男性は下心があり、それに応じることごできないなら甘えてはならないと思っていましたが、違うんですよね。
みんな誰かを喜ばせたいんですよね。
家族からもらった愛情なんて、考え始めたら涙でべちゃべちゃになって嗚咽するほどあります。こう思えることがまずありがたいですね。
うちは父がギャンブルお酒たばこが好きで、怒るとゲンコツ落とすような、短気な人でした。母にも喧嘩すると手を出しそうになることもあって、私が小学校2年生のときに離婚して、3年生のときに他の男性と再婚しました。
客観的にみたらあまり良くないお父さんですけど、いいところもたくさんあったし、すごく可愛がってくれていました。お祭りでもらった金魚を、私が飼いたいといったら母の反対をおしきってあれこれ準備してくれたり、タバコの煙でわっかつくるのとか、料理苦手なくせに私の好きな味玉だけは作ってくれたり、すっごく歌が上手で聴きたいといってよく歌ってもらってました。
離婚は正しかったと今は思います。
母は別れてから、私と弟をひとりで育てるために遅くまで働いていて、帰ってきてもすぐにご飯を作って洗濯して掃除して…。どんなに忙しくても食事に手を抜いていた記憶がありません。ぜーんぶ美味しかった!栄養もバランスが良くて。一人暮らしして、大学の授業、家事、バイトで忙しい日々で、さらにそのすごさがわかります。
それに会話が減って寂しかった記憶もあまりないです。弟がいたのもあると思いますが、限りある時間で最大限コミュニケーションとってくれてたんだなあと思います。あぁもう涙が笑
それと、めちゃめちゃ心配性なんです。ちょっといつもより帰りが遅いと大丈夫ー?とLINEがきて、返事が遅いと近所探しに行ったり、高校生の時はみんなと一緒に遅くまで遊んでいたかったので嫌な時もあったんですが、今思うと嬉しいことです。それだけ想ってくれている。今日どうだったかな、ごはんなに作ろうかな、美味しいって言ってくれるかな、元気だといいな、とかいろいろ考えてるんですよね、待ってる間に。ほかにもたくさんあります。冷凍食品でも毎日お弁当作ってくれて嬉しかったです。忙しくてもお金に余裕がなくても習い事をさせてくれました。私と弟の学費を大学分まで母がためていてくれてました。再婚後も。あと、いつもは朝からバタバタして会社行ってって感じなのに、子どもが風邪ひくと休んでずっと家にいてくれるんです。これが私はとても好きでした。いつもより優しくて、ごはんも風邪用におうどんで、あったかいお茶いれてくれて、至れり尽くせりなのがいつも以上に幸せでした。もう書ききれません笑
離婚してから再婚するまでは祖母が近くに住んでいたので、学童から帰ったらまず祖母のうちへ行っていました。それで宿題をするんですが、これがまた教育ママならぬ教育おばあちゃんで笑
お菓子やテレビの前に絶対に宿題をするんです。そして宿題だけでは終わらなくて、本屋さんで買ってきた百マス計算とかをタイム測ってやったり、いろいろありましたね。おかげでめちゃめちゃ計算力つきました。勉強だけじゃありません。母が遅い分、それに離婚したからか私を自立させるために、あらゆることを教えてもらいました。料理の下ごしらえから作り方、掃除の仕方、洗濯の仕方、お風呂でどういう順番でどういう風に洗ったらいいか、化粧水やヘアオイルの使い方、髪の乾かし方、しまいやすいタオルの畳み方、カーペットの掃除機の掛け方、家計簿のつけかた、保証書の管理、応急手当とか、他にもたくさん!もう祖母の知っていること全てを教えようとしたんじゃないかと思うくらいたくさんのことを教わりました。もうここまでくると小2の女の子に花嫁修行です!笑
今では遊びに行くと私の好きなものたっくさん出てきますし、私の家にも荷物を送ってくれます。定期的にくれる手紙がとても好きです。短いんですが、綺麗な言葉で季節や近況が書かれていて、こんな素敵な文章を書ける人になりたいといつも思います。
実はこの経験のおかげで、今の彼氏さんは私のこといいなあと思ってくれたみたいです笑
新しいお父さんは、28歳で小学生の子ども2人がいる女性と結婚することを決意したすごく懐の深い人です。なかなかできませんよね。最初は新しいお父さんなんて大嫌いで仕方なかったけど、母の生活の負担が減って、母の笑顔がふえて好きなことできるようになって、かわいい妹もできました。それが再婚して私が1番嬉しかったことです。それだけ支えられる男性、素敵ですよね。最近まで気づかなかった笑
私が高3のとき、突然てんかんを発症しました。このとき父がめちゃめちゃ心配してくれたんですよ。進学で一人暮らしするときも、心配やなあ寂しいなぁって、まるで本当に自分の子どもみたいに心配してくれていて、意外でそれに嬉しかった。
こんな感じでわたしには、2人のお母さんと2人のお父さんがいます!この家族でよかったなぁ
書くこと多すぎてめちゃ長いです笑
わたしはとっても幸せ者です!
両親からの愛情。ありました。一番覚えているのは受験の時です。
私は母親とは度々衝突していたのですが、反抗期はすごい荒れようでした(^^;
ものすごく手を焼いていたと思います。
その反抗期真っ只中で高校受験を迎えたとき、私のギスギス感はピークでした…。
受験当日、お昼に母手作りのお弁当箱を開けたら手紙が入っていました。
普段からほとんど会話もしない母娘でしたのでびっくりしました。応援の文章が書かれていました。
家から遠めの学校を選んだので、知ってる同級生が誰も会場に居なく、
一人ぼっちで心細かった私にはその手紙がもの凄く大きな心の支えとなりました。(無事合格しました^^)
今これを書いてて涙が出てきました(笑)
私に対して憎たらしいと思う瞬間が何度もあったと思いますが、励ましてくれ、お弁当も作って車で送り迎えもしてくれた母には本当に感謝しています。
他にもたくさんありますが、愛情を注いでもらっていたなぁと思います(*^^*)
親からの愛情は、時に押し付けになることもあるけれど、確かに与えられていました。
愛されていたと、わかります。
離婚する時も、うちに住んだらいくらでも協力出来るから戻ってこいと言ってくれたし、孫たちの送り迎えだってたくさんしてくれた。
精神的にもギリギリの状態だった私を、新幹線で迎えに来てくれた。
あの人から離れてもうすぐ実家のある駅に着きそうな時
の私を
「アナウンスが聞こえた瞬間、あなたの表情から初めて力が抜けた」
と言われて自分の状態に気がついた。
ずっと、見守ってくれていました。
ちゃんと、愛されています。
私も子供達に、たくさんの愛情を注ぎたいし、それが出来ていたらいいな、と思います。
愛されていた経験。
両親には愛されてたと思えるけど、具体的に何をしてもらったか、あまり思い出せてないですね。
料理が苦手だった母にお弁当を作ってもらってた頃、そのお弁当はあまり好きじゃなかったです。いつも決まってお肉系のハンバーグやウインナーに、ブロッコリーとミニトマトは定番でした。
もっと凝ったお弁当の娘は周りに居て、羨ましく思ったりもしてたけど。大人になって、そのお弁当を思い出すと、ちゃんと配色やバランスの考えてるお弁当だったんだなぁと思ったり。
また運動会の日は必ず栗ご飯でした。それも、何日も前から栗の皮をむき水にしばらくつけてから渋皮をむき、、、とめちゃくちゃ面倒くさいのに。
当時は栗むきの道具なんてなくて、ケーキ用の小さなナイフで全てやってたんですよね。
改めてすごいなぁと思います。
また父親は、よくドライブに連れて行ってくれました。休みの日になると、小一時間位走っては、バーベキュー食べたり公園や川でで遊んだりなんてしょっちゅうでした。
回らないお寿司屋さんにもよく行き、子供なのに大トロを勝手に頼まれ、実は気持ち悪くなったりもしました苦笑。何となく、言わなかったんですけどね。
愛情は受けてたんだって、思えますよ。
kouさん
こんばんは
きゅんきゅんです
愛されています、たくさんたくさん。
私が小1で妹が1歳のときに母は離婚してから、ずっと私たちを育ててくれました。母役と父役をこなし。昼間の仕事に加え、夜も水商売をして。そんなことを良く言わない方、もたくさんいましたが。
そして、母以外の大人の方にもたくさんお世話になりました。特に父方のおばさん家族が、忙しく働く母の代わりに、妹のことを孫のようにかわいがってくれました。さらには、お隣さんにご近所さんにもお世話になりました。
大人になった今でも、私のことを誰かが助けてくれています。妹も同様の話をしてきます。
おかげて、幼い頃から大人はやさしい、と思いながら育つことができました。今、私が子どもたちが大好きで、絶対に子ども側につくのは、そのように育ててくれた環境があったからこそです。
だけど、子どもたちに何かをしてあげようと思っていても、してもらっているのは私の方なのです。子どもたちはいるだけで、私のことをしあわせにしてくれます。子どもたちにも、たくさんの愛情をもらっています。してもらってばかりです。
両親はもちろん、祖父母にもとても可愛がってくれたなぁって思います。
遊びに行くと必ずお菓子やアイスやらがありました。(笑)
父方の祖父母は家が近かったこともあり、良く遊びに行ってました。
田んぼで遊んだり、みかん畑でみかん切ったり、サツマイモ抜いたり、お餅つきとかも呼んでくれました。
大して手伝いとかしてるわけじゃないのに、おやつ貰ってました。
でも、自分が思ってた以上に愛してくれてたんだなぁ、って思ったのは、祖母が亡くなって遺品を分けした時でした。
遺品の中に穴の開いてないテレフォンカードがあったんです。
テレフォンカードには私が七五三の時に着物を来て撮った写真がプリントされてました。
そんなものが作られて、しかも配られていたことも知らなかったので、吃驚しました。(笑)
祖母はずっとお財布に入れて大事にしててくれたみたいなんです。
使わなかったのも、私が写ってるから穴を開けたくなかったとか。
写真は中心に全身入ってるようなものだったので、使っても背景に穴が開くだけなのに。
これを知った時に、私が思ってたよりもずっとずっと愛してくれてたんだなぁって思いました。
kouさん、素敵なブログありがとうございます♡
過去の男性から愛されてたかと考えると、どうだろうとわからないので。
両親と身内で考えると、とても心が温かくなるくらい愛されてたし、愛されています。
喘息発作キツくて、ここのところ深夜早朝コメントばかり(^_^;)発作少し落ちついたらブログ目を通しております。
父とは会話自体は少なかったですが、大切にされているな〜と思うエピソードはいくつかあります。
私が大学生のころ、大雪が降った日がありました。
私は実家から電車で学校へ通っていましたが、その日は電車も大幅に遅れて、帰るのにものすごく時間がかかりました。いつも送り迎えをしてもらう駅までやっと着いたのが21時くらいだったかと思います。
駅まで父にお迎えをお願いしていました。いつもなら車で30分の道のりですが、雪のせいか中々来ません。
お父さん大丈夫かな〜と心配しながら駅の中で待ち続けていました。すると、父から電話が。
「路面凍結してて、かなり道も混んでいる。まだまだ時間がかかりそうだ。でも、遅くなっても絶対に迎えにいくから。そこで待ってて。」
と。父が駅に着いたのは0時近くになりましたが、ちゃんと迎えに来てくれました。
心細くなり始めていた私は、父からの「絶対に迎えにいくから」の言葉で少し安心しました。嬉しかったです。
時々思い出しては、愛されているなぁと今も感じています。
ちなみに、父のメールアドレスには私たち三姉妹の名前が入ってます。笑
そして、実家に帰ったときは必ず外に出てきてお見送りしてくれます。
月一くらいのペースで帰っているのに。笑
最後にもう一回顔見とこ、みたいな感覚なのか?
母とは関わりも多かったので衝突することもあったけど、その分愛情も分かりやすく感じています。
一方で、父とは会話も少なかったし怒られることもほぼなかったので、あまり関心ないんだろうな〜と以前は思っていました。でも、今になって色々思い出します。
父は、今まで一度も私のことを否定するようなことを言ったことはありません。
これってすごく大きなことだなぁと、今になって思います。どんな自分でも受け入れてくれるって思えることって大事だなぁと。
どこかでちゃんと感謝の気持ちを伝えたい、、
ざっとコメントを読んだときに、
あーわかる、
私の母親も…となるのが多くて
恋愛の勉強が必要になる人には、
勉強したいと思う人には共通する物があるのかもしれないなと思ったところです。
お母さんに大切にされてるな〜って思うことが多いです。
私の兄妹構成は兄、私、妹2人。
それで私が甘えたい時に妹が手のかかる年齢でした。
なので甘えられなかったんですが、今は実家に妹2人は居ないで一人暮らし。
私は持病ができてしまい一人暮らししていましたが断念して実家に戻りました。
持病があるのもあり家事などやってくれるし、具合悪い時は気にかけてくれます。
隠しても直ぐにバレるのはもう流石としか言えません。
1番愛されてたんだなって実感したのは、持病を持つ原因になったことをお母さんにいろいろと話した時ですね。
お母さん、私が泣きながら話したのもあるのか一緒に泣いて最後まで聴いてくれました。
私が泣きながら話したから時間かかったり、聞き取りにくかったりしただろうに。
あの時は本当に嬉しくて、お母さんの為に少しづつ病気を治そうと前向きになれました。
お母さんみたいな人間になりたいと本当に強く思います。
振り返ると愛されてたなあと思います。
すごく愛の行動をしてくれていたのに、うまく反応できてなかったな。
例えば母親が、リクエストにすべて答えてくれたお弁当作ってくれたなあ、とか、
他にも、今からでもお礼を言いたいことがたくさんあります。
特に、Kouさんのブログに出会って、大学時代に付き合っていた人が、
かなり頑張ってくれていたんだと思い知り、
自分の不甲斐なさ、幼さに失望しました。
今の感覚だったら悲しい思いなんてさせなかったのに…。
元カレには言う機会は無くなってしまっていますが、
母には、今更ですが連絡するたびに感謝の言葉を言っています。
素直に喜ぶことができなかったのはなんだったんだ涙
当時の自分に喝を入れてやりたいです。
ちゃんとできなかったなという後悔が多々あるのですが、
Kouさんに出会ってお勉強してからというもの、
過去は変えられないですが、
これからなんとかできるよと思えるようになりました。
Kouさん、感謝しかないです。
こういう気づきの機会をありがとうございます。
恋愛のお勉強は永遠ですね、そして楽しい。
これからもよろしくお願いします。
Kouさん
私は愛されていました。
子どもの頃は、弟ばかり可愛がって
自分には興味ももってもらってない、
可愛がってもらってないって
ずっと”思い込んで”いました。
ここ最近、いい年齢になってきて、
振り返るとすごく懲りずに愛してくれてるなーって実感してます。
手の込んだ表現ではないですが、
親なりに考えて私に見合った愛情表現を
してくれているので、感謝です。
はい!
私は愛されていました!
と言うか今でも愛されてます。
心の中でそのことを分かってれば良いんですよね。
あまり大きな声で言うと、いやな気持ちになる人もいるかもしれない。
心に秘めておきます。
愛された記憶があれば、大丈夫!ですね。
確かに誰にも絶対あると思う。奥の奥にしまっている記憶に、まだ気が付いてない人は・・・、
きっとKouさんが思い出させてくれますね(^^)
私は両親とは良い思い出はありません。
ただ、今の彼が私を娘のように、なんなら孫のように可愛がってくれます。kouさんのブログに出会って勉強して実戦してからなんですが。
後、上司からも前の彼からも大切に扱ってもらえてます。
それもこれも、kouさんの教えのおかげなんですが。
私は生まれてきてから今が一番幸せで、恋愛の勉強しながらまだまだ、もっと幸せな日々を過ごしていこうと思ってます。親と居た時は悲惨だったもので。
愛された記憶、家族以外でも良いですか?
この記事を読み返すと幸せな気持ちになります。
愛されてると実感できると、日頃の些細な行き違いや誤解で怒ったりガッカリしたりしたときも
「でも家族は私を愛してるから、こう言うんだよね。意地悪したいわけじゃないもんね」と心穏やかにすることができます。
寝る前に毎晩読み返してます。
愛されてるとおもうと、頭を撫でてもらったような
安心できる気持ちになります。
Kouさんのおかげで父と自分を誇れます。ありがとうございます(*^^*)
すごい記事をありがとうございます。
そして、姫さまたちのコメントが秀逸すぎて、涙なく読むことはできませんでした。
こちらのブログにたどり着いたとき、私は両親に愛されていたことを実感できずにいました。
母が悪い、父が悪い、と親のせいにしたまま大人になってしまい、それが恋愛にも結婚生活にも表れていました。
けれど、こちらでお勉強を進めてきたら、両親からいかに愛されていたのかをしっかりと感じることができるようになりました。
Kouさん。心より感謝いたします。
素敵な記事をご用意くださり、ありがとうございます。
姫さまたちの素敵なコメントを
たくさん読ませていただきありがとうございます。
ふふふ、いいなぁ。
グラサンおにぎりかぁ…
うちの父はあんまり喜びせようとかなかったけど、子供の時は忙しいのに色々連れてってくれました。
もう会えないけど…今も父の愛は感じています。
いろんなタイミングでいろんな人の育ってきた環境や親の話、小さい頃の話を聞く機会があり、私は本当に愛されて大事にされて育ってきたんだなと思います。
お金持ちではないけれど、経済面が安定していたこと、母が専業主婦で家にいたことも大きいのかもしれないですが、それ以上にただ甘やかすこととは違う、深い愛情をかけてもらっていたのだとすごく感じます。
今結婚4ヶ月ですが、結婚するにあたりそれを感じることが多かったので、結婚するからではなくそれを感じた今お礼のお手紙を書きました。
コロナで会いに行けないから直接は伝えられないけど、メールではなくお手紙がいいなと思いました。
恵まれた家庭でほとんどの事が当たり前だと思って生きてきましたが、私はすごく幸せだったんだなぁと。
子どもの頃からピアノに書道にスイミング。全て私がやりたい!と言い出してやったものだそうです。覚えてないけど。両親の教育はほとんど私の自主性に任されたものでした。やりなさい!と言われた記憶はありません。
やりたいと言った事はほぼほぼ与えて貰えました。やめたいといった時は本当にやめちゃっていいの?と。本当に辛いならやめていいけど本当にいいのか。と。決して強制はなかったです。小学生になって宿題をやらなかった時期も。ただやりなさい。ではなく、何でやらないの?と私の気持ち最優先でした。
お母さんにしてもらった事で1番嬉しかったのは自然学校や修学旅行など泊まりで出掛ける際のお弁当に入っている小さなお手紙でした。初めて貰った時から嬉しくて嬉しくてお昼ご飯なのに泣きそうになってました。
お父さんはこれといって大きなエピソードはないけどいつも優しくて。頼んだ事は喜んで叶えてくれて。お昼の冷凍パスタ作ってーと頼むと、やった事無いから外袋ごと温めちゃって食べれなくなって怒る私にごめん。と小さく謝っていました。今思うと悪いことしたなぁと。とんでもないワガママ娘だと思います。
おじいちゃんは初孫で嬉しくて初めて2人で買い物に出掛けたら私が欲しいと言った物全て買ってきたそうです。おばあちゃんとお母さんにこっぴどく怒られたのだとか。
書いてて泣けてきました。
こんなんでいいんですか?Kouさん。
人生を自分のために自分で立て直そう四苦八苦やっているところです。
そんな中、見えてきたのは今まで普通もしくは成功していると思っていた人を実は悩みが山盛りで余裕がなかったり、異常だと思っていた人が実はまともで、だから逆に浮いていたりするのかと考えるようになりました。考え方が変わるとこうも人が違って見えるのかと面白く感じています。
私が10代で悩んでいるとき、いつも助けてくれる姉がいました。今も助けてくれる心強い味方です。その分自己犠牲をしすぎてしまったのか、精神病を患ってしまいました。人に危害を加えるまでになったので距離を置いていました。
私は余裕がなくて助けてあげられず、姉は1人で闘病をし続けています。
でも今になって姉の偉大さに気づきました。
悩んでいたときに、抱きしめられたことがあるのですが、あの時は恥ずかしくて嫌でしたが、今になって愛が伝わってきました。伝達の時差が年単位で来るとは思ってなかったです(笑)。
自分の人生に責任を持つ。自分で切り開く。と決めてから、人や物事を見る目が変わりました。
そして姉の件で、いつか愛は伝わるのかもしれないから大切なものは大切にしておこうと思いました。
親からの愛情は思い出すと色々あったなー愛されてたなーと思う事がいっぱいあります!幼かった当時はあまり裕福な方では無かったので他所の家族と違って頻繁に何処かに泊まりに行ったとかはありませんでしたが、毎週末ドライブで色々な科学館や動物園など私たち姉妹を楽しませようと出掛けてくれていたなと思い出しました。
当初は旅行やプールに遊園地とか行きたかったから全然連れてってくれないΣ(-᷅_-᷄๑)と思っていましたが今振り返ると家から出て遊びに行ってる割合は他の家族に比べたら多かったかもですね笑
色々怒られることも多かったけど無条件で沢山の愛情を貰っていた様に思います。
また大人になった今では長期連休くらいしか実家には帰れないので、帰る度に好きなご飯を用意してくれていたり皆で温泉に行ったりとまだまだ愛情をいっぱい受け取っていますね!
私もそんな親になりたいです。
大人になり家庭を持ってから母と父の愛情がどれだけ深いものか気づきました。
今までも分かってはいたのですが、うわべの部分だけしか分かってなかったんだなって。
子供が望んでいること、親としてしてあげたいこと、すれ違ってウザいなぁなんて思われること、、今後あるんだろうなぁ(゚o゚;;
子供にはのびのび、したいことをさせてあげて、たくさんお話して、色々なところに出かけたり、出来ることは何でもしてあげたい。
私が母と父にしてもらったように。
ダメな時はしっかり叱られたけど、そこにちゃんと愛はあった。
私も同じ。
子供の話に耳を傾けつつ、ダメな時は注意して怒りたいと考えています。
日頃から小さな赤ちゃんでも尊重の気持ちは忘れていません(^^)
最近思うのですが、子供のきらきらした瞳って最強ですよね 笑
私もこんなに瞳輝かせられるのかな、、笑
小さい頃、毎年、家族旅行で海に行くのがすごく好きだった。
潮風で髪がカピカピになりながらパラソルの下でお昼にカップラーメン食べたり、貝殻をひらったり。
両親が今までしてくれたことを今度は私がしているなんて感慨深いです。
#喜ばせたい #男性の愛情表現
「あなたは愛されていました。間違いなく愛されていました。
忘れているだけです。
この手のエピソードは、思い出せるのならいくら思いだしてもいいです。
探せば絶対あるはずです。
過去に注がれた愛情というのは、見ようとしないと見えないものです。
愛情を受けた記憶を思い出すのは極めて大事なことです。」
みなさまのコメントのように感動や感謝の想いは溢れ出てきませんし、心から実感できるまで時間がかかりそうですが、
(どなたもそれぞれ葛藤やお辛い経験をされてきた、自分だけじゃないということがわかりました)
「探せば絶対あるはずです。
過去に注がれた愛情というのは、見ようとしないと見えないものです。」
たくさんはないだろうな…と探す前から、落ち込んで諦めていましたが
ここに大きなヒントがあるように思えて自分としては太字にしたいくらいです。
今のわたしに必要な視点。
ここに突破口がある気がしています。
ありがとうございますm(__)m