6Apr


Kouです。
大ヒット記事になってしまった、この話の続きです(^^
この記事で、アメとムチの話をしました。
多くの場合、アメが少なすぎるんです。記事にも書いたとおりで、そもそもアメじゃないものをアメだと思っていたり、もう何年も前にもらったアメの記憶だけを頼りにして、必死にムチに耐え続けていたりするんですよね。
そういうのはもうやめましょう、という話でした。
記事はヒットしたんですが、コメントを見ているとどうも様子が変です。
「確かにアメじゃありませんでした。私はもっとアメが欲しいです!」
「私、アメなんかもらったことがないような気がします。ああ、アメが欲しい・・・アメが欲しい・・・(ゴクリ)」
ちょっと正確ではない気もしますが、こういうコメントがちらほら出てくるんです。
えっ、アメが欲しいんですか。
本当にアメが欲しいと思っていますか。
そんなもの欲しがっちゃいけません!!
お母さんに言われませんでしたか。
ダメですよ、アメなんか欲しがっては。
「えっ、Kouさん、私は今までムチばっかりもらってきたんです。ちょっとくらいアメが欲しいと思って何がいけないんですか?」
と大真面目に言う女性はさすがにいないと思いますが、アメとムチの話を聞いて、アメが欲しいとか、アメばっかり欲しいと思っているようでは、まだ呪いが解けていません。
アメって何ですか。
何のためにアメがあるんでしょうか。
よく考えてください。
アメとムチと言うとき、「アメ」と「ムチ」はどちらが重要なのか分かっていますか。
重要なのは、「ムチ」です。
アメとムチというのは、ムチに目的があるんです。
ムチを使って何らかの行動を起こさせることが本来の目的です。そのムチに耐えてもらうために、アメを渡すんですよね。
よりたくさんの年貢を取るために厳しい取り立てをするのがムチです。
しかしムチばっかりやっていると一揆が起こるので、時々ガス抜きのための娯楽を与えたり、ねぎらいをかけてやるのがアメです。
アメには大した目的はないんですよね。
アメとムチの呪いを仕掛けてくる人たちは、ムチを使いまくりたいわけです。
アメがないのは、ムチを使いまくってもなかなか一揆が起こらないからでもあります。
女性はアメが欲しいと思った時点で、もうアメとムチの呪いにハマっているかもしれないんです。
どっちも要らないんですよ。
苦行を耐え抜くためのアメなんか、もらいたくもないというのが本音のはずです。
アメを貢ぎ物と勘違いしたときから、歯車が狂っているんです。
本当の愛情というのは、アメの甘い味なんかしないんですよ。
甘い味の代わりに、温かいんです。温感があるわけです。ずっと。
こちらの記事にも全く同じことを書いています。
最中にどれだけ楽しくても、帰るときにはすでに寂しさにまみれているようなら、それは温感のないアメと同じなんです。
本当にアメが欲しいですか。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (1)
#恋愛で自分を補完しない12 #寂しいから恋愛している12 #心が飢えすぎていない状態で男性と会うこと12