30Nov
Kouです。
こんにちは。
12時間レッスンが始まりました。もうしばらくしたら正規の1時限目が始まります。
1時限目からはさらに忙しくなります。
予備講義の2問目の設問で「僕に解説してほしいキーワードや分野」について聞きました。
その中で、「高齢者の幸せとは何か?」という回答があったので、今日はちょっとこのテーマについて僕が知っていることの話をしようと思います。
これからどんどん高齢社会になっていくので、このテーマは避けられませんね。
高齢者同士の恋愛についてもいくつか質問がありました(^^
実のところ、高齢者だからという理由で幸せの定義が変わったりしないんですよ。
若い人も高齢の人も、基本的には同じなんです。
ちなみに高齢の女性からの恋愛相談もかなりあります(^^
僕が実地で知っていることと、恋愛相談などの事例を踏まえた上であえて幸せとは何かと考えるとすれば、自分の意思通りに動き続けられることです。
話す相手がいるとか、楽しい娯楽があるとか、幸せを構成する要素は色々ありますね。
でも僕が一番よく聞くのは、自分で自分のことをし続けられることに幸せを見出している人が多いということです。
どういうことか、分かりますよね。
ちなみに子供も、自分の意思で行動することに喜びを感じます。
誰かにやってもらうのではなく、自分自身の手でそれをつかみ取ることにこそ大きな喜びがあるということを知っているんですよね。
年を重ねていくことによって、以前は難なくできていたことが、なかなか思うようにできなくなるということはあります。
周りはそれを見てただ助けようとしますが、助けてもらうことは嬉しくても、本当は再度自分でできるようになりたいんです。これは病気で動けなくなった人にも同じことが言えます。
代わりにしてもらうことで助かるのは間違いありませんが、自分のことは自分でできるようになりたいと思うようになります。
高齢者に対して幸せを提供しようと考えるとき、彼らにとっての本当の幸せは自らの足で歩き回って、自分の意思で自分の人生を生きることだということを理解する必要があります。
と、ここまでは高齢者についての話でしたが、これってやっぱり若い人にも同じことが言えるんですよね。
若いうちは身体こそ自分で意思通りに動かせるでしょうが、知らず知らずのうちに変な制限にハマり込んで、自分の意思で動けないことにストレスを感じまくっている人たちが溢れかえっています。
ちょっと前の世代の人たちは、昔は楽しかったとよく言います(^^
その理由の一つは、自由だったからだと思うんです。
物質的には不自由でも、制約はとにかく緩かったんです。
テレビでも社会でも、現代は禁止事項だらけになっていて、してはいけないことを避けながら注意深く生きていくことに慣れてしまっているんです。自分の意思を通す前に、制約に引っかからないかを先に考えるんですよね。それによって無数のストレスを受けています。
僕は人間の本当の幸せは自立だと思っています。
自分の能動的な意思によって、自らの行動を決めていくんです。
車とかバイクといった乗り物が好きな人は、ただの車オタクやバイクマニアじゃないんですよね。それを乗り回して好きな速度(?!)で好きな場所へ、いつでも自由自在に移動できるようになることに至上の喜びを感じられるからこそ、それを求めるんです。
年齢に関係なく、幸せの定義は大して変わらないんだと思います。
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コメント (48)
1げとおおおおおおお
自分おめ!おいひいですぅ♡
びーひさの1げと(´◔౪◔)۶ヨッシャ!
僕は人間の本当の幸せは自立だと思っています。
自分の能動的な意思によって、自らの行動を決めていくんです。
–8<–8<–8< キリトリ 8<–8<–8<–
実家を出てからこの自立の喜びを感じるようになったのでよく分かります。
ずっと窮屈でした
苦しくて悩みがどんどん増えていくしとにかくストレスで眠れなくて睡眠薬をよく服用していたくらいです。
けど、一人になって自分の事だけに集中して生活が出来るいま、大変な事もあるけどその問題を一つずつ解決していく度に強くなっていってるように思います。少しずつ自信も出てきました。
いまの課題は基盤を固めることです。
そうしないと本当にやりたい事に手がつけられないのでどうすればいいのかを模索しています。
なるほど!
昔の外圧がコミュニティの和の中にあったなら、
今の外圧はルールの中にあるってことかぁ。
外圧の質の変化。
なぜか。
昔はコミュニティ毎の采配で、
ルールは柔軟に変化してきたけども、
いまはボーダレスな社会になってきたから、
万人が守られるように
画一的なルールにしないとならないわけで。
それが個人の自由を窮屈にさせている、
というわけかぁー。
ふむふむ、おもしろいです。
自分で思い通りにできる自由。
あー、もうまたダメな波に襲われてます((´д`)) ブルブル…
昨日、
もうしーらないっ
て連絡やめて別にもういいやー。
相手の出方待とう。
その間に私は私のやりたいことやるし、他にいい人いればそっち行こう!
って、思ったのに
今日美容室行ったら、
かわいくなったんだよー?
ほめて?ほめて??
って言いたくて仕方ない((´д`)) ブルブル…
いや、見にこないのわかってるから見せに行きたい(´;ω;`)
どっちにしても連絡したい(´;ω;`)
これって、ただ寂しいだけですよね?
でも、どんなに他の人に褒めてもらっても嬉しくないんです。
他の人にも褒めさせてるんです笑
この感情ってなんですか?(´;ω;`)
確かに自由である事は幸せですね。
自由は自立してないと得られないですよね(。’-‘)(。,_,)ウンウン
年齢を重ねても元気で動いていられるように、今から身体のメンテナンスはきちんとしておこう。
幸せな老後(*n´ω`n*)
むしろ高齢になればなるほど、保守的だったり世間体を気にしたり、久々のときめき~だったりなんかで、とてもウブな恋愛になったりします。
若い頃は勢いがあって、失敗なんて気にしない、次!次!て体裁も人目も気にせず突っ走れたもんです。
だから、辛い思い出があまりありません。
最近、年上の友人が
『いくつになっても主人に心配したり嫉妬しちゃう。
もうこんな歳なのに、気持ち悪い話でごめんね』
と打ち明けてくれました。
ぜーんぜん!
気持ち悪いなんてとんでもないですよね!
いくつになってもときめいたり、ドキドキしたりするの素敵です。
ヤキモチは苦しいでしょうが、女性を忘れてしまったのかという人よりずっと可愛らしい。
定番の謳い文句にありますが、女性はいくつになっても女性であるべきです(*^^*)
色ボケとは全く違うと思います。
まぁ~タイムリーなお話に感謝、感動。
高齢者の日常は
基本的欲求の段階を
1日中、クルクル昇降してるような
意外にスピーディだと感じる
今日この頃。
今、私が身近に体験して
思ってることに繋がりました~
高齢になっても、体は不自由でも
心は自由であること。
良く見ていると目的達成のためだけに
一点集中して、根気よくエネルギーを注ぐ傾向にあります。
ひとつのことに無になってゆっくりと。
そのためには、今までの経験値使っていろんな手立て使って。。
そしてやり遂げ、安堵の喜びを観てると
Kouさんのおっしゃるとおりだなぁと。
なにかを超えたこれを幸せって言うんでしょうね。
Kouさん更新ありがとうございます(о´∀`о)
まさに!その通りのお話でした♪
私も急な体調不良でその前の年まで難なくできていたこと、行けていた場所、覚えられたこと、が急に出来なくなって、絶望しました( ω-、)
新しい楽しみや取り組みも始めたけれど、やっぱり前のように戻りたいんです!
それがいつも胸のなかにあります。
諦めてはいません。いつかまた自分の思い通りに動けるようになってみせますよ~(*´∀`*)尸”
仔猫ちゃんはけーん!!
久しぶりに感無量(*´・∀・`*)ドーン
元気そうでよかた♪
メルマガ登録ありがとうございます。メルマガの受信を確認した時、試験の合格通知貰ったようで嬉しかったです。心臓バクバクでした。
自分の意思で動けずにストレスを感じる
…
仕事でもあります。
必要以上に抑え込みにかかる上司とか…
皆の輪を乱すな的な。
仕事のノルマに満たないわけでもないのに、変な制約をかけてくるとか。
あぁ。そっかぁ。
私は大きな勘違いをしていました。
してもらうことが、祖父母の喜びと思っていました。
Kouさん。あがとう。私、今とても反省しています。泣きそうです(ノ_・、)
赤ちゃんもそうだ!姉に赤ちゃんがいます。
まだまだたてませんが、一生懸命立とうとするんです。
脇に手をやり、立っちをさせてあげると「自分で立てた」と勘違いし、キャッキャッと喜びます。
その他にも「耳が聞こえない叔母」がいます。
この叔母は耳が聞こえないだけで体は健常者よりも健康で元気。
私にとっては叔母は叔母なので、健常者に対してのように普通に振る舞っていました。
それを祖母は「それで良いのよ!それが叔母さんには心地良いんだから!」と言っていました。
祖父母も祖父母のまま。
最近は昔のように動けなくなりました。
でも、祖母は強く、なんでも自分でやろうとします。
そういえば、祖母は一緒にお話しをすることと、一緒に神様にお祈りすることと、一緒に遊びに行くこと、それを一番楽しそうにしています。
そして、一度、祖父が入院した時にね、祖母と病院で待ち合わせをしてお見舞いに行きました。
その時、何も食べていないだろうと思い、おにぎりを買って行ったんです。
休憩室で祖母に「おばあちゃん、何も食べていないと思ってオニギリ買ってきたよー!一緒に食べよう♪」とオニギリを渡すと何とも嬉しそうな顔をしたんです。
そういうのが、嬉しいんだろうなぁ。
そして、祖母がね骨折入院をした時に、何かをしようとすると拒絶する祖母に何もできることがなくて、でも何かをしたい。と思いました。
なら、祖母が帰ってきたとき、松葉杖生活の祖母が少しでも歩き回れるように、お家を整理していよう。と思いました。
それから祖父と二人でのお家をピカピカに磨きあげ、長年溜まった物の整理をし、祖母がまたキッチンや他の部屋で動き回れる環境を作って帰ってきました。
そして、私が嬉しかったんです。
掃除をしながら、祖母がまた一人で動き回る姿を想像すると、何より私が嬉しかった。
そして、お爺ちゃん、お婆ちゃんのお家に遊びに行ったとき、また昔のように朝ごはんを作ってくれる祖母を見たいな。と思いました。
祖母に「お婆ちゃんの朝ごはんをまた食べたいから、私勝手に台所の大掃除しちゃったよー!笑 いつでも帰って来る準備は整ってるよ!だから早く元気になってご馳走作ってね♪」と伝えると、嬉しそうに笑い「はいよ♪ipseちゃんがそう言ってくれるなら、早く元気にならないとね♪」とニッコリ笑ってくれました。
自分勝手な愛情だったとは思いますが、それを踏まえて受け止めてくれた祖母の優しさに感謝します。
祖母はね、ホントすごいんです!
全治半年以上かかる事故から退院して、3カ月で私たちと一緒に温泉に行くんです。笑
松葉杖じゃなくて、杖で歩き、一緒にお風呂に入るんですよ!
それでもね、なんとも楽しそうでした!(o^∀^o)
骨折してるの忘れて、温泉でお喋りしていました。笑
出来ないからと、同情して何かをしてあげるんじゃないですね。
一人で何度も力強く生きる祖母に出逢えたことに感謝して、応援して、そんな祖母を追いかけるように私ももっと良くなって、一緒に楽しい会話を楽しむことが、私の役目です♪
これ日々感じてます。
高齢者のこと、自分自身のこと。
すごくわかります。
そうか
またあとで読むよ。
タイムリーすぎて 笑
ありがとうござます。
今久しぶりにおばぁちゃんと老犬と会って来て、
思うところがあって、メールを開いたら通知が。
自立と自由。
制限は自分にも、相手にも感じて欲しくない。
相手を縛らないための自分の自立でもあるのかな。
精神と経済と体の自立、自由は出来るだけずっと保っていたいですね。
ピンピンコロリ!
自分の意思で行動するって、私の場合は子供の頃は他人との比較やジャッジを気にして全然自由じゃなかったです。
他人がよしとするかどうかが正解で、自分の意思で行動するってほぼなかったです。
それを止めた今はまだまだ壁はあるけど(主に身内の目)昔に比べたら断然自由です。
今もあれこれ言われますが、これからもっと自由になると決めてます。
・自分で自分のことをし続けられることに幸せを見出している人が多い。
・子供も、自分の意思で行動することに喜びを感じる。
・誰かにやってもらうのではなく、自分自身の手でそれをつかみ取ることにこそ、大きな喜びがある。
・以前は難なくできていたことが、なかなか思うようにできなくなる。周りはそれを見て、ただ助けようとします。助けてもらうことは嬉しくても、本当は再度自分でできるようになりたい。これは病気で動けなくなった人にも同じことが言える。
・代わりにしてもらうことで助かるけれど、自分のことは自分でできるようになりたいと思うようになる。
・自らの足で歩き回って、自分の意思で自分の人生を生きる。
・知らず知らずのうちに変な制限にハマり込んで、自分の意思で動けないことにストレスを感じる。
・自分の意思を通す前に、制約に引っかからないかを先に考えるため、無数のストレスを受ける。
・人間の本当の幸せは自立。
自分の能動的な意思によって、自らの行動を決めていく。
***
やっぱりまずは一人暮らしかなぁ。
自立が幸せ…そうなんですね。
私は大学卒業後からずっと働いていて、たまに結婚して仕事を辞める人を見ると羨ましいと思って…働かないで生活できるなんて夢のようだわと。
実際に妹はその状態ですし。
でも旦那のお金だから自分のために高いものを買うのは気が引けるらしく、洋服とかほとんど買ってないと言ってました。
母も今は年金暮らしですが、仕事を辞めた時は全く同じことを言ってました。
かくいう私はずっと正社員にも関わらずどうしても借金生活から抜け出せず。
Kouさんの言う通り、振り返ったらたいした努力もしてなかったしもっとやりようがあったと思えるといいのですが。
今のところ綱渡りとしか思えない生活をしてます。
両親は年金暮らしで訳あって二人とも遺産放棄してます。
働きながら定時制の高校に通い、自分達は苦労してきたので娘二人は私立の大学に行かせてくれました。
ぶっちゃけ親の他の兄弟達は実家にことあるごとに援助してもらい、割と裕福だったりするのです。
両親は家を建てる時も一銭の援助も受けず自力でやってきました。
父はそれを誇りに思ってます。
私も立派な両親だと思います。
ただ両親は、娘がこんなにお金で苦労していることを知らないわけで。
親戚同士でありながら、全くお金で苦労したことのない若い子たちを見てると、何で我が家だけこんなに苦労するのかしらと疑問に思わなくもありません。
政府は子供には手厚い手当てをしますよね。
子供は未来の宝ですから、当然だって分かるんですよ。
だったら高齢者にも手厚くしてあげてほしいなって思います。
世の中は裕福な高齢者と年金で細々と暮らす高齢者とに二極化していて、お金の心配をしながら老後を過ごさなきゃならない人達にも優しくしてあげてほしいです。
とにもかくにもいつかはこの生活から抜け出したいです。
…自由で居ることが幸せ。
たしかに。
わかる。すごく。
そうすると、恋愛というもの自体が全体的に少し不自由になるものという認識なんですが、女性の恋愛は自由でいていいって、そういうこと?その辺り…掘り下げません…?
ここで
恋愛の勉強ができることを
恋愛で悩めることが
幸せだということを
しっかり噛みしめ
悩んでいこうと
思います
こんなことを
話してくれる人
kouさんに出会えて
感謝しています
うわーKouさん、私の悩みをお見通しです!
こわっ(^^)
エスパーやっ
ありがとう!
なるほど!自立してることは幸せ!
“人生フルーツ”っていう、ドキュメンタリー映画のご夫婦のことを思い出しました。
建築家のご主人が建てた素敵なお家に住んで、庭では、たくさんの野菜を作り、木を植えて、いろんな実りを楽しんでいるご夫婦でした!
家族で頑張る日には旗を掲げたり、庭の木陰に、小鳥の水浴び場を作ってみたり。そんな遊び心もありつつ(^^)
何よりも、何でも自分達でやって、表情がキラキラしてたのが印象的でした!
自由でゆったりな空気感。おふたりの笑顔。
こんな素敵な歳の重ね方をしたいなあーという憧れのご夫婦です(^^)
素敵で幸せな暮らし♪
『自分で自分のことをし続けられることに幸せを見出している人が多い』
なるほど。
自由でいられるのが、ストレスを感じないですもんね。
自分で責任とるんだから、何してもいいし。
Kouさん、感動しました!!
この記事最高!!
自分のことは自分で出来る。
それがホントの自由だと思います!!
【知らず知らずのうちに変な制限にハマり込んで、自分の意思で動けないことにストレスを感じまくっている人たちが溢れかえっています。】
知らず知らずの内、自分に要らぬ制限をつけてのたうち回っています。
行動しながら、心を自由にさせることに今向き合おうとしています。
頑張りたくない訳では無いから、頑張るためにどうすればいいかなと涙しながら模索してます。
男性の事は今は後回しやな…それを考えられるのってある程度、武器持ってなきゃいけないなって思います。
色々な悩み事がもうパンパンになってて、本当にどうしたらいいんじゃ状態なんですけど
でもそれ、もう無理って諦めより、もっと出来るはずなのにな〜っていう葛藤なので、
上手く毒を吐き出しながら、心をすっきりさせて歩きたいなぁ。
それに協力してほしいのですがね!!!(強気)
もう少し緩くてもいいんじゃない?考えすぎなところあるからね。
完璧にこなさなきゃ、少しでも間違いを犯してしまうともうダメだってところ本当に認めてあげなきゃな。
変わろうとか、更に我慢を強いることしてるからドバっと自爆するんで
うまく自分と向き合ってコントロールしてかなきゃ。
恋愛感情なくても、男性見てて嫌やなこういう人ってのも、いいなって思うのも分かってきて
それはそれでいいし
なんか眠いです
「僕が実地で知っていることと、恋愛相談などの事例を踏まえた上であえて幸せとは何かと考えるとすれば、自分の意思通りに動き続けられることです。
…でも僕が一番よく聞くのは、自分で自分のことをし続けられることに幸せを見出している人が多いということです。」
ふむ(ゆくゆ)
「僕は人間の本当の幸せは自立だと思っています。
自分の能動的な意思によって、自らの行動を決めていくんです。」
ええ、自分の意思で動けるのは幸せですね。
知らず知らずのうちに変な制限にハマり込んで、自分の意思で動けないことにストレスを感じまくっている人たちが溢れかえっています。
これわかる!!
私の人生苦しい事があるとすればこのストレス
だもん。まずはこうなっていることを認める
ところから。自分と自分以外を切り離して
考えることからかなぁと思います。
このストレスから脱出しようとすると自分も
含め周りからびっくりされるか引かれるか、
です(笑)
でも勇気を出してえいッ!とした後はほんと
楽しいし、たいがい良い事があるから好き。
これをすると自分以外のもののせいにする
ことがないから楽です。
あ、たまぁにあるけど(笑)
しかし何事もバランスかな。
どちらかに偏ると皺寄せは何らかの形で
何かしらあると思います。
物事はプラスとマイナスの両面を持っている
と思うので、今どうするべきかというのを
考える冷静さは自由の前では特に必要です
よね。
制限といっても全ての制限って意味でもない
ですよね。意味があって制限が存在するわけ
ですから上手に付き合って、採用するものを
自分で決めて自由になる、今後はそう心掛け
ます。
kouさんが仰る「自由」や「自立」というのは
もちろんその上に成立するものの事なんだろうな
ぁと。成長させてくださりありがとう。
高齢者の幸せとは何か?
祖父母のことを思い浮かべました。
二人とも90近くで体のあちこちに不具合は抱えていますが、仲良く二人暮しをしています。
時々顔を出して様子を見てますが、
Kouさんがおっしゃってるように、
自分で自分のことをし続けられることに
幸せや生きがいを感じているのがよくわかります。
若い頃比べできないことが増えたり
ひとつひとつの作業に時間がかかったりして、大変だと愚痴をこぼしてますが、
自立して生活していることは
なによりも重要みたいです。
高齢だからとなんでもかんでも助けたりしてもよくなくて、また、できないことをひとつひとつ責められるのも(特に祖母はプライドが高いせいもあって)嫌がります。そこは理解してあげることも大事ですよね、
祖父母をみて思うのは90近くになっても自由な時間をもって、自分の意思で生活できることは大切なんだなぁーって感じてます。
あと、隣にパートナーがいてくれるのも心強いんだろな〜。
わたしもいくつになっても(健康な限り)自由な時間をもって自分の意思で行動できたらと思います。
あー!そうか、だから結婚したいけど、今じゃないかなぁって思ってるわたしがいるのだと感じましたよ。
Kouさんの思う人間の本当の幸せは自立、は、私で言うと、両親からの自立なんだと感じてドキッとした。
わたしね、結婚のお話をずっと彼に出されていて、実家暮らしでしたいことし放題の今の生活に終わりが見える事が嫌だったんです(笑)
でもこれって自立できてない。
これじゃあ半端な決意で結婚したって喧嘩の日々になっちゃうんだろうなぁ。
自立したいという意思はあるのです。
彼と結婚して、わたしが家を離れていろいろなことを自分でする事になることへの不安感があります。でも、自立っていう言葉を出してもらって勇気を貰いました。
だって自立するって失敗や挑戦の連続だと思うから。いきなり2人で暮らしたって、掃除、洗濯、料理、全部思い通りに出来ることなんてないのは無いだろうからね。
もちろん、全く出来ないわけじゃないんですよ!?(笑)
ただ、自分がやりたいと思ったタイミングと、彼のタイミングが違う時に協調することや、
自分で出来ることを増やすことは、やっぱり決意がないと出来ないと思ったのです。
なるほどなぁ、私の中で結婚の意味が変わりました!ありがとうございます!
あ!そういえば、母が言ってた「動物は、自分でご飯食べられらなくなったら死時よね」って言ってた言葉が深いなぁと思い出しました。
人は、自立して、認められて、幸福を感じるんだなあと考えさられました。
仕事もそう、出来ることが増えて、認められて嬉しいと感じる。それは安心感ではなくて幸福感だから。
前の仕事は、最後の方は出来ても安心感になっていたから苦しくて辞めた。あの決心は間違いではなかったのだと、改めて感じた。
なんだ、わたしちゃんと分かってるじゃない!
まずは経済的に自立して、
精神的に自由に過ごしたい。
人生折り返し地点を過ぎました。
(人生80年だと考えると)
こども達を巣立たせた後
自分はどう生きていきたいか
考えてます。
できればダンナさんと仲良くしていきたいけど
若干不安。
いつでも自分一人くらい暮らしていけるくらいには経済的に自立したい。
こんなこと、他の人からしたら当たり前の事だと思います。
一人暮らししないまま結婚して15年間専業主婦→パート
やっと一歩踏み出したところだと思います。
いつでも離婚できるくらいの”経済的な自立”
(必ずしも離婚前提ではない)
経済的自立なくして精神的自立はないですね。
全てダンナさんに養ってもらってる時の
知らず知らずのうちに
無意識に縛られてる感じ。
今流れてるPOLAのcm見て、すごく思います。
記念すべき月の、お一日に叫びます。
読者登録一年記念、ならびに生誕祭(*^▽^*)
私は、
自由だぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぁ!!!!!
はい。(笑)
>自分の意思で行動することに喜びを感じます
これって、人はみなそうだから、
男性もそうなんだから、頼りにしてみる、信じてやってもらう、
これをすることが効果的なんですね。
同性である女性でも、私が頼ることで嬉しがる人もいますよ♪
そして、人からキメラされた・・・違う、決めらされたことほど、
やりたくないことなんて、この世に無いんです。
わたしは、じぶんで、やりたいことはやりたいといい、やる。
やりたくないことは、やらない。うまく、できる人(それを好きでやっている人)に頼る。
人生のこと言っているようで、男女関係のことも言っているのは、
Kouさんの日記見てしょっちゅう感じていましたが、
これほどまでに強く感じたことはないです!
10代以下の男の子も、それ以上の男の子も
年齢が上がっていっても
男性は男性なんですよね。
好きになった女性に尽くせる、追える、投資できるなら我慢も全然へっちゃら。
こんな事書いたら何のためにここにいるか分からないかもですけど、
女性ってイチイチ男性の言動気にしなくていい気がする。
ネガティヴな言動を気にしなくていいのは当然のこと、
こんな事されたから愛されてるんだな〜みたいなやつも。
彼氏だけじゃない、
こういう事されたから女性として愛されてるんだ
って思いすぎなくてもなんかいい気がする。
だってほんとは
そんなの思わなくても、自然にしてたらそれが当たり前のことかなって思う?
女性として扱われるのも優しくされるのも当たり前のことだから
本当にこれだけは本当に嬉しいってことだけに喜べばいい気がする。
なんか自分が女性だとかを確かめるように、愛されてるよって思うのは、男性に意識吸い取られてる感じ。
こういう事されるのは当たり前だもんね。とか思いながらそれを超える追われ方をして
はっ、この人素敵かも?みたいなやつ
何でここにいるんだろってこと書いてるかな。
浮気されるのは浮気される方も悪いとか書かれてると、(違う記事)
もちろんこっちにも不利な状況作ってしまったことが原因とは思うけど
そういう事を?したいなら飽きるまでしたらいいし、そっちがいいならそっち行けばいいんじゃない?って思う。
そもそもが私は付き合ってないし。
今わたし、ときめいたり特定の誰かにドキドキしてないから極端な事書いてしまってるのかな。
男性は高齢になっても変わらない投資をしてくれると思う。
ただ普通にしてるだけで
男の人って、女の人ってだけで優しくしてくれると思うし
ちょっと素敵ですねって言っただけなのに、めちゃくちゃ喜んで自分のこと好きなんだとか思ってそう。
それって男女だから?
性に違和感を持ってない人なら
必然的に、男はこういうもんで女はこういうもんでみたいなのってありそう
だから、自分の土台作って自分のことしてるだけなのに磨きがかかって
声かけられたりするの?
そもそも土台作らなくても恋愛ってのは出来ると思うし
世の中にまだ出逢ってない気づいてないだけで
女性として見る人いるかもしれない
彼に絞って彼となんて考えなくても
他の人との方がフィーリング合うかもしれない
彼のことは嫌いじゃないけど
好きだなとも思わない
いま張り裂けるほど連絡したい声が聞きたいって思えない
相手に他に異性居て、楽しいならそれでいいって本気で思ってしまう
私、彼と良くなるためにここに来たけど
連絡しばらく取るのやめたり
自分に集中したら なんかよくわからなくなった彼の事。
今は彼にまた寄りかからないようには意識してるけど
我慢とか無理とかして、連絡抑えてるとかじゃないし、
私に連絡してこないで他の女性と、付き合うならそれでいいんじゃん?って思う
追いたくなくて。
男性の、いい所がわかってきたから
男性って本当に好きな女性には自分が傷だらけでも守るよな、とか愛するんだなって、日々生きてて知っていくと
彼ってなんなんだろ?って思う
前も思ってたけど
自分の執着心でつないでたから、自信もなかったし。
今も自信ないし、執着心あるかもだけど
自分の将来のことに真剣になってきてるから
あと、そこまでして得た彼と何があるかわからないし
嫌いではないけど。
でも、追ってこない人に意識向けて
一喜一憂して何が変わるかわからないな。
私が連絡して連絡返してくるのは分かってるけど
彼がしてくるかどうかは分からないし
そんな微妙な人どうしたらいいの?
私の今までの行動が原因でそうなったとしても
それだけじゃないでしょって思うし
白黒つけてほしいわけでもないし
自分が納得いくまでするのは、
付き合うことだ。って思ってたけど
彼に愛されることだとか思って
こんなこと言われて愛されてるかも?これを言われたから愛されてないかも?とか言ってたけど
彼と離れて縁が切れても
これでいいやって納得出来ることが欲しいのかもしれないし
なんか男性のことで悩むのがいやで
雑に扱われてないし
そもそも連絡とってないから何がなんなのかわからないけど
彼から連絡してくるようになったり
下品なセリフなくなったり
他の男の事を聞かれるようになったり
地味に変わってるかもだけど
それだけだと、だからなんだろうって思って
それは言葉だけの態度であって
行動じゃなくない?って思うから
私も、餌とか撒いて
こっちに向かせる方法取れるんだからそれしたらいいのに
それして連絡取れたからって
私がまたワーワー喜んで終わりかなとか
彼に行動することが今はなんか違うなぁってなってる
私がこんなんだから
もう好きにしたらいいんじゃない?って思ってる。
それでもまだ軸ってやつがぶれるかもしれないから
先の事考えて
音信不通についてのメルマガを再購読して
自分が!悩まないように先手とろうとしてるの。
今気持ちがわかんない。
>自分の能動的な意思によって、自らの行動を決めていくんです。
変な外圧で自分が行動しているとき。
苦しかったです。
適齢期だから○○しなきゃいけない。
社会人だから会社の忘年会に行かなきゃいけない。
部署のみんなが行くから一緒ランチに行かなきゃいけない。
SNSも。
ぜ~んぶやめてやりました。
スカッとスッキリです。
私は彼が好きだから恋愛するし。
友達が好きだから忘年会やランチ会をする。
やりたくないからしない。
やりたいからする。
法律と業務命令守ればあとは大抵自由◎
自分で自由に動けるということが幸せ。
意識してないと忘れてしまいそうになります。当たり前になっているんですね。
わたしにもしたいけどできないことはあるけど、できる範囲で楽しんでいます。この出来ないことがどんどん増えていくことはかなしいけど、それでも楽しもうとは思います。
なんでもできるってことはやっぱり素晴らしいですね♪
メルマガの接客業のお話で、この記事を思い出しました。私は洋服などお店の人から話しかけられて、可愛いですよね〜とか言われるのが嫌なのですが、これと同じことなのかなと。いつでも人は自分の意思で決めていきたいのですね。
だから、お客さんが自分で決めさせてくれるような接客をする方だったら、重宝されるんだろうなって思います。接客って、機械的な仕事ではないですもんね。
それで思い出したんですが、前に、私の親世代の女性の集まりにひとり参加したとき、そのうちのひとりに、「みんなを立てながら調和を保つのがうまい」なんて言われてました!自分の良い点って、思いもよらないところに隠れているのかもしれませんね。
kouさん。こんばんは。
ウチのお婆ちゃんのお話ですが。
ウチのお婆ちゃんは、おじいちゃんという素晴らしい旦那さんがいながらもずーっと彼氏がいました。毎日デートしてて堂々と旅行なんかにも行ってました。
私が物心ついた時には既にいて、私が覚えてるだけでも3人の男性に乗り換えています。
子供の頃はよく意味がわからず、友達から「お爺さんとお婆さん、いつも一緒に出掛けてて仲がいいね」と言われ「ううん。あれは〇〇さん(彼氏)だよ」と答えていました。
母も「お宅のお母様。今日も彼氏とファミレスに居たわよ」と近所の人達から度々言われて恥ずかしかったと言っていました。
今思い出すと、彼氏さん達は皆、とてもマメに献身的でお婆ちゃんをまるでお姫様の様に扱っていました。
おじいちゃんも浮気ばっかりしてる妻なのに何故か了承していて、それどころか「俺はアイツの保護者で守る義務がある」と言っていました。惚れていたんでしょうね。
そーいえば、おじいちゃんとの馴れ初めも、めっちゃ競争率が高かったのにお婆ちゃんが即行でかっさらって行った。とお婆ちゃんの妹からエピソードを聞いたことがあります。
10年程前に最後の彼氏だった男性が先に亡くなり、8年前におじいちゃんも亡くなって、現在92歳の未亡人です。
もう10年近くデイサービスに通っていますが、しょっちゅう「イイ男がいない」とか「最近入って来た割とイイ男がいてさー」など、いまだに男絡みの話ばかりしています。
筋金入りの「魔性の女」なんですね。 ある意味「女」としては尊敬しますね!
私に同じ血が流れてるとは思えないですが…(^^;
生きてるうちにその技法を伝授していただきたいです。
そうですね。
ひとつひとつは、些細なものでしかないです。
でもそれを、自分でできていることに意味があります。
高齢者に対して幸せを提供しようと考えるとき、彼らにとっての本当の幸せは自らの足で歩き回って、自分の意思で自分の人生を生きることだということを理解する必要があります。
↑
高齢者の何を知ってるのか知らないけど、幸せの定義なんて人それぞれで一括りに出来ないよ。
そういう点で、ボランティアとか寄付とか、本当はどうするのがいいのか、まだ迷いがあります。
すぐには答えは出ないので、やりながら、進みながら考えていきたいです。
先日、ネットで
高齢者の恋愛・結婚についての
シリーズ記事を読みました。
悩みの大半は
若い人とあまり変わらないのですが、
入籍や同棲に至る期間が
とても短い印象を受けました。
人生の残りの時間を考えると
少しでも長くいたいという
気持ちからなのでしょうね。
私も彼も決して若くはありません。
でも、それ相応に時間をかけて
関係を構築してからではないと
そこには踏み込めないなぁ。
なんて思ってしまう私には
樹木希林さんの言葉が深すぎる。
「結婚なんてのは若いうちに
しなきゃダメなの。
物事の分別がついたら
できないんたから。」
ですよねぇ(笑)
私も最近同じことを思っていました。
自立。
恋愛だって、仕事だって、家族、人生。
自立によってえられる自由。
努力や忍耐力、苦手な言葉だったけど、
その先には本当の幸せ、満足が待ってる。
高齢者も歳をとっても一緒なんだ!
…と思えることってなんか嬉しい気分です。
【自分の足で自由に歩ける幸せ】
先週の金曜日に右足のふくらはぎが
炎症を起こして歩くのに少し不自由
しています。
以前、右手が自由に動かなくなった時
よりも不安な気持ちが大きいです。
自由に歩ける事がいかに幸せか噛み締めている毎日です。
今は、これ以上身体に負担をかけない様に食生活に気をつけたり
暗い気持ちにならない様に、午前中に必ず朝の光を浴びる様にしています。
右足をかばう事で筋力が落ちない様に
近所も1時間くらいかけて散歩しています。
今、歩く速度が周りの人より倍以上遅いですが歩ける事自体が嬉しいので
のんびりと道端の風景を楽しんでいます。
【自分の意思で動ける幸せ】
・右足ふくらはぎの怪我がおかげ様で完治しました!階段の登り下りもスムーズにできる様になりました。今までの様に歩けるって本当に幸せですね。今回のケガで改めて思ったのは身体のケアを意識して行う事です。特に関節に負担のない歩き方の研究やひざ周りの筋トレ等やれる事を積み重ねていこうと思います。
いいですね。。。バイク、やろうかな。
私のことを分かってくれてる友達からも
「こんなに恵まれてるのに自由を求めすぎてる」
と言われたことがあります。
そうなのかもしれないけど、
不自由を感じたら苦しいんです。
【知らず知らずのうちに変な制限にハマり込んで、自分の意思で動けないことにストレスを感じまくっている】
↑
Kouさんのとこへ来たときはこんな状態でした。
苦しかったです。
周りから「何不自由なく暮らしてて幸せな人」と言われていましたが
私自身は「こんな生活、嫌だ!」って思ってて、
不満を感じる自分を責める気持ちで満ち満ちてました(^_^;)
今は、自由を求める自分を認めてあげられるようになりました。
人は自由に生きたいものなんだ(・ω・)ウム
こんな多いに共感できる記事があったんだなぁって(kouさんのブログは、やはり、お宝だらけ♪)、先日、浪花の女さんがコメントされてらっしゃってので、先日、思いがけず読めることとなっていました。ありがとうございます!(^^)!
最近、どこかの記事に、私、高齢になってきてるいま、幸福度が上がってるってコメントしたんですよね。
それで、そもそも、幸福度ってなんなの?と思い、ネットでくぐってみました。そしたら。。
【国連が毎年発表する「世界幸福度報告書」によると、幸福の75%は「信頼感」をはじめ「堅調な経済成長」「健康寿命」「良好な人間関係」「寛容さ」「自分に適した生き方をする自由」の6つの要因で決まるとされています。】
↑このような内容が、ひとつ、出てきました。(他にもいろいろ出てきてましたが、これが、一番、私の中でヒットしました。)
あぁ( ゚Д゚)!確かにぃ( ゚Д゚)!この通り!って。(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪と多いに頷いてたんです。
確かに! これらの項目、年を重ねてきてる、いま現在、それぞれ、自分の満たされ具合が、どんどん、上がってきてるんですよ。
そして、これら、すべての項目が、ここのブログでkouさんが常に伝えてくださってる内容と、かぶってて、なんら、変わらないなぁとも思ったんです。
>僕が一番よく聞くのは、自分で自分のことをし続けられることに幸せを見出している人が多いということです。
↑私もコレです!これが、最も、一番、幸せを感じられることだなぁって思えてました。
これを常に追い求めて、ここまで、生きてきていたって言っても、過言では無い!とすら感じてました。
そして、私の身の周りの人や、お仕事で長く関わらせて頂いてるお客さんも、漏れなく、同じなんですよね。
>僕は人間の本当の幸せは自立だと思っています。
自分の能動的な意思によって、自らの行動を決めていくんです。
>年齢に関係なく、幸せの定義は大して変わらないんだと思います。
↑確かに年齢に関係なく、そうですよね。この記事は、題名的に、高齢者向けとなってるのかもしれませんが、お若い世代の方だとしても、なんら、ここは、変わらないのだと思います。
息子と最近電話で話すことがあって、このような内容になってきたところ、息子は20代後半なんですが、この内容をよくわかってました。
息子は、仕事は数年前から独立してて、自由がとにもかくにも大好き人間! これまでも、好き勝手に自由に生きてきてました。関わる人や周りに居る人たちは、いまは、ほとんどが、独立されてる人ばかりのようで、嫌だと思う人は自分の周りには、ひとりもいないって言ってました。
こういう人たちが以前はいたこともあったようですが、自然と、自分の周りから、いなくなったなぁって聞いていました。
自分から関係を切ったのか、もしくは、相手から離れていったのかは、そこの詳しいところはわからないですが。おそらく、多分、どっちもあったのだろうとは思います。
私が息子の年の頃は、こうはまったくできていませんでした。
だから、まだ、20代後半で若くして、このように感じられてるというのは、とても、うらやましくも思えています。
ストレスのまったく無い(ストレス無いの?と聞きましたら、まったく無いー!と断言してました(;’∀’))、なので、いま、楽しい、自由がいっぱいな、毎日を送ってるんですよね。。
突然、ここに遊びに行ってるよーみたいな、画像など、家族ラインへ送ってきたりすることもあります。
8月は、いまのところ、半月も働かない予定だと言ってました。仕事じたいは、ぜんぜん舞い込んできてるようですが、その、受けた仕事を、別の信頼できる人へ回したりすることもあるようで、それで、マージンがとれることもあるようなんですよね。だから、ここずっと、あまり働かなくっていいようなんです。(私は、まだまだ、この域でないので、ここはとても羨ましいんです。)
ただ、こうまでなれるまで、本人が、物凄く、努力だったり、頑張ってたとか、屈辱をうけるほどのことがあったというのは、母親の私が、一番よく知っています。影で、物凄く、悔し涙を流していたであろうなぁっていうのは多いに感じてました。
なので、本当に、これって、年齢なんぞ、まったく、関係無いことだなぁって思います。
私は、とにかく、いま現在は、自分の幸福度をいまよりさらに、もっともっと、上げていくような、そんな、生活を日々できるようにしていきたいです。
そして、この先、多いに、満ち足りるような人生を目指していきたいなぁって物凄く思ってます(*’▽’)!