22Sep
Kouです。
緊急参上です(笑)。
今ふと思い出したことなので、今のうちに書いておくことにします。
メルマガでもよかったんですが、あえてブログにします。
昨夜遅くに、こんな記事を書きました。
すでにコメントが100件を突破しています。
しばらくコメントを眺めていました。
概ね僕が言いたいことは伝わっている印象ですが、つい先ほどのちゅらさんのコメントを受けて、僕は気づいてしまいました。
ちゅらさんより:
なんだかすみません…
私の書いたことがこのような波紋を。
そして、宗教と書いたことも含め、私が出したコメントに不快を感じた皆様には大変申し訳なく思います。きっとKouさんなら、どこかで私がぐうの音も出ない、このモヤモヤを納得させてくれる記事を書いてくれると甘えていたのだと思います。
結果は、このブログ記事、読まなきゃいい…とても残念です。悲しくなりました。
改めて、このコメントを含め、私が書いたことを読んで不快な思いをされた方にはお詫び申し上げます。
僕はこのコメントを読んで、正直かなり驚きました。
昨日の記事で、僕はちゅらさんのコメントに応えたつもりでした。
僕がこの時点で考え得る回答として記事にして書いたのです。
誰かを不快にさせたとか、そういうのは割とどうでもいい問題です。
それよりも気になったのは、僕が目にした瞬間に驚いてしまったのは、この一文です。
「結果は、このブログ記事、読まなきゃいい…とても残念です。悲しくなりました。」
ちゅらさんには申し訳ないのですが、僕はこれを目にした瞬間に、「ちゅらさんは僕の今回の記事をちゃんと読んでいない」と思いました。
瞬間的にそう判断しました。
いや、本当は読んでいるんです。
もう少し正確に言い直します。ちゃんと読めていないんです。
僕はちゅらさん個人を否定したいわけじゃありません。
実はこれと全く同じことが、ごく最近メールの返信でありました。
何が言いたいのかと言うと、読み間違いをしているのです。
僕は、昨夜の記事の結論として、本当にしたいことは何なのかを確認してくださいと言いました。
これが結論です。
「読まなきゃいい」
というのは、確かに記事の中では言っていますが、それは結論でも何でもありません。
冗談や皮肉の類でこの部分を取り出して僕の回答の結果だと言っているのであればまだいいです。
しかし、昨夜の記事を読んでみて、僕の導き出した結論が「嫌なら読まなくていい」だと本気で思っているのであれば、読解力にかなり問題があると考えるべきだと思うんです。
ちょっと読めば分かると思いますが、僕のこのブログは、はっきり言って相当読みやすい方です。
これでもできるだけ平易に書いているのです。
ところが、これでも時々僕の伝えようとしている真意とはまるで違うところを突いてくる人がいるのです。
僕は、当初それらは、記事の内容そのものが理解できなかったり、心理的な抵抗があるからどうしても受け容れづらかったりして、本質とは関係のない部分の話をすることで主張しようとしているだと思っていました。
しかし、どうもそれは間違っているかもしれないということに気づいてしまいました。
その理由は、簡単です。
伝えようとしている真意を読み取る能力がまだ弱いだけなんです。
何回も補足しますが、僕は否定しているわけではありません。
実際にそういう人が何人もいるんです。
これは、恋愛の勉強とか男性心理、人間関係の話以前の問題で、国語の、日本語の読解力の問題です。
これを聞いて怒る人もいるかもしれませんが、僕のところの恋愛相談を持ってくる女性の中には、この国語の問題のせいで相当に不利益を被っている人もいるんです。
笑い事ではありませんよ。
この最近もちょうどある女性に対して、「国語の勉強が必要」と言ったばかりです(笑)。
彼のメールを読んで、明らかに読み違いをして自爆する女性の数は、1人や2人ではありません。
実は結構深刻な問題なのかもしれません。
日本人は、高校まで行っている場合、12年間も現代国語の授業を受けているのです。
義務教育だけでも9年間です。そしてその授業内容の大半は、文章読解です。
子供がいる女性や、最近まで学生だった人は分かると思いますが、国語の授業で、文章の要約をしたり、作者が何を伝えようとしているかを文字数指定で読み出す問題を散々やりましたよね。あれです。
普通に義務教育の国語を履修できていれば、相当な国語力があるはずなんです。そうなっていないのはシステムの問題なのかもしれません。
世の中の大半の仕組みは、国民がこの水準の国語読解力を持っていることが前提になっています。
この水準を満たさなくても受け容れてくれるのは、自動車免許の試験くらいです。
ほとんどの文書や本、新聞などは、読み手がこのレベルの読解力はある前提で作成されます。
これに達していない場合、門前払いを受ける可能性があるということです。
事実として、読解力がないから騙されるわけです。
この読解力の低下が、今回の安保問題の誤解にも繋がっているのだと思います。
国語がちゃんと分かっていれば、集団的自衛権の問題を読み間違えたりしないんです。
いや、本当に国語の授業が要りますか(^^;
本当に必要なら、何か対策を考えないといけません。
インターネットが当たり前に使われるようになって、人とのコミュニケーションの手段として、文字情報は主役に躍り出ました。
電話だけだったら、まだマシだったかもしれません。
今は文章なしにコミュニケーションは取れない時代です。
今は昔よりもはるかに国語の読解力が必要だと思うんです。
文章は読み手によって解釈が変わるから、伝えるのは難しいと言います。
それは確かにそうかもしれませんが、僕はそれはある種の言い訳に等しいとも思っています。
読み手が一定水準の読解力を持つことによって、同じ文章であれば誰が読んでも同じように理解できること。これが、文によるコミュニケーションです。
詩や俳句の類じゃあるまいし、読み手の解釈次第で描かれる内容は変わってしまうと言われたら、作家はできないのです(笑)。
ちょっとふざけましたが、これはあると思いませんか。
今からでも遅くはないと思います。
国語のより正確な読解力を身につけることは、今後の人生に大きく影響してくる可能性があります。
僕は高校生の頃に、「国語ができないヤツは数学も絶対できない」と言われて納得した記憶があります。
これは数学の問題文が日本語で書かれていて、まず問題文を読み間違えると、数学がいくら分かっていても点数にならないという意味です。その通りだと思いました。
こういう例は、出せばいくらでもあります。
日本語をある一定の水準で正確に読解できないと、明らかに不利な契約をさせられたり、変に言いくるめられたりするんです。
振られたわけでもないのに振られたと判断してしまったりするんです。
身に覚えのある人もいるはずです。
ぜひ考えてみてください。
ちょっと意見を聞きたいので、国語の読解力の授業が必要だと思うかどうかについて、なんでもいいのでコメントに書いてください。その結果によって、どうするかを考えたいと思います。
ちゅらさんと同じように、昨夜の記事を読んで、「読まなくていい」と結論づけているように読めてしまった場合は、時間のあるときにもう一回落ち着いて読み直してもらえますか。
多分そういう結論には辿り着かないはずです。
コメント
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コメント (30)
コミュ障ってうまく対話できない人のことだと思っていましたが、アッパー系コミュ障というのがあって、「しゃべりすぎたり、自己主張しすぎて、人の話を聞かない」タイプのことだそうです。勉強になりました。
多分、ここのブログ
すごく若い時に読んでいたら分からなかったかも。
国語の読解力に加え
人生の経験値みたいなのもある。
国語力ないんです。。。
だから、しょっちゅう意図を読み間違えます。
ダメだとは思いつつ…何もしてません。。。
何か、救済手当を…
別の話になりますが…
私はFeelingで生きてるところがあって…
ただの感じた事なのですが…
この頃のKouさんは、少し怖い気がしました。
これも、血が通ってるからと思いますが、
テーマがテーマだけにかな?
怒ってる事もあってかな?
国語力の問題でしょうか。
感覚的、感情的に捉えることと、意図を理解することは別ですよね。
男女間でもこのすれ違いでトラブルになりやすい気がします。
先日、親友が仕事について
「ある女性のクライアントの指示が曖昧で困る。結局どうしたいのかよくわからない。」と。
「修正の時も感想の様なことを書いてきて、こちらがあれこれ気を回して探らなければいけない。」
「そして希望通りにならないと臍を曲げる。」
と、話していました。
親友は大変なようですが、私はちょっと面白いと思ってしまいました(笑)
手がかかるので男性相手には有効な場合もあるかも知れませんね(・∀・)
そのクライアントさんとの間に入っている会社から親友は仕事を受けているのですが、その方の案件は他でも受ける人がいないらしく営業さんも手を焼いていて、何度断ってもお願いされるので料金上乗せで割り切って引き受けているそうです。
可愛げがないと損する例だな〜と思いました。
もしかしたら、ご本人は自分は一生懸命なのに周りが意地悪ばかりするとか思っているかも知れないですね。
女性に生まれたのにもったいない。
現代国語ってすごく大切な科目だったのですね。
読解力があるとかないとか、あまり意識したことはありませんでしたが、本や新聞など活字を読んでいないと弱まってしまうのかもしれませんね。
本を読んでいても、意味がわからない時がありますね。語彙が難しくて調べながら読んだり。
一度では入ってこなくて、繰り返し読むからなかなか先に進まなかったり。
Kouさんのお話の内容がちゃんと読み取れないと恋愛のお勉強も始まらないですものね。
女性は感情の生き物ですからね。
負の感情で読むと、悪く捉えてしまう。
ただそれだけのことの様な気もします。
ネガティブな人は、何でも深読みして
マイナスに捉えてしまう所あるし。
ポジティブな子ってどこまでもプラス志向な気がするし。
国語力の読み間違えではないかな。
捉え方の間違いじゃないのかな。
メールやLINEの文章を読み解く力がないと、今の時代人間関係や仕事も上手くやっていけないですよね。
自分でどれくらいメールやLINEの文章を相手の意図する内容で読み解けているのか分かりません。
私は結構怒って、それを表現してメールやLINEをしても、相手には全然怒ってるように伝わってなくて、余計にイライラしちゃったことがあります。
作者の伝えたかったことはなんでしょう??
という質問、そこじゃないんだよね~って言われること書いてました(^^;
読解力乏しいです。
その上、相手に期待が強すぎて
「こう書いたから、こう返ってくるはず」
って思って、そうじゃないと嫌われたって思っちゃう。あぁ、私に興味ないんだぁって思っちゃう。
自主性がないんですよね。
周りの状況から、自分気持ちが作られるんじゃなくて。
自分の気持ちがあるから、周りの状況によって思いが変動しない女性になりたいです。
周りの話を受け入れないじゃなくてね(*^^*)
このblogは、理解しやすいと自分では思ってますが、
過去に、『誤解している。それは違うよ』と指摘されたときの私は、ちょっと情緒不安で冷静さに欠けていたと思います。
たぶん落ち着いて、いつもの自分だったら、読解できるところが、悲観的だと読解できないんです。
しばらく忘れて、気分転換してから読むといいのかも。
しかしながら、私にも国語の読解力ほしい。読解力は低めだから。
読解したい気持ちはしっかりあります!
参考書を教えてほしいです。
本質を見抜くとか、そういったキャッチ力も学びたいです。
国語問題私も気になっていました。
うーーん…
Kouさんには恋愛(男女)の話をしてほしい…
本職の国語の先生が書く、非常に良質な読解のための本は書店にあります。でもその先生たちは必ずしも男女関係の話をできません。できてもあまりしてないと思います…
なので、Kouさんが良いと思ったおすすめ解説書をブログで紹介してください。ぜひ!
私はある時からセンター試験過去問の現代文/評論の部分は満点しか取らなくなりました。筆記の統一試験でも学年1位を取るまでになりました。国語は、恋愛よりもはるかにシンプルな体系です。だから学校の教科になっているんだと思います。
また、コメントいくつか読みました。(すごく参考になりました。ありがとうございます)
感情が先行しないためにも国語力はあった方が良いと思います。
博識な人の方が冷静な人多くないですか?笑 手元にいろんな道具がある人の方がそりゃ落ち着いていられるでしょうな〜と感じるので。
また、国語力のある人、学校の勉強ができる人で恋愛になると途端にポンコツ状態になる人は、恋愛の基礎がまだないからかな?と思います。
東大に一発合格できるくらい全教科がよくできる人でも車の運転はできないのと同じかと。習ってないから。
でも、勉強(国語)ができる人の方が、車の運転をするときのルールを覚えられるとか、そのルールがなぜ定められているかの本質にはたどり着きやすいのではないかなと思います。
Kouさんはどんな本をすすめてくれるだろう(^-^)興味津々です(^-^)
女性特有の「なりがち」な思考回路があるんでしょうか。
極端なんですよね。。
嫌なら読まなくて結構、そういうことね!
と、なったり。
私のこと嫌いなんでしょ、
うっとうしんでしょ、
面倒なんでしょ、
短絡的で、想像力がなくて、甘えてる。
否定されたくて、言ってしまうのかも。
そんなクセ、絶対つけたくない。
私は、どうだろう、Kouさんの文章は読みやすいと思いますし、私としては偏った解釈はしていないつもりです。うまく理解できていない部分は、あると思います。
ただ、読解の問題というよりも、感情で判断した結果かなという印象です。他の方も言うように、女性ではわりとその傾向があり苦しんでいるのはそれが原因であることが多いと思います。。私もそれで(女性の価値や尊厳や事前に認識しておくべきものを他所に、感情を優先したことで)うまくいかなかったという反省があります。
恋愛関係と同じで、Kouさんに対して妄信、依存という形でこのブログを読んでいるから、うまくいかなかったら攻撃するという行動に出るのかもしれません。
だからその感情って厄介なものをコントロールするというか、コントロールする必要がないくらいに、自分の価値の認識を高めていったり、主体的であることを意識したり、ということを進めていくのがいいのかな・・なんて思っています。
非常識な時間のコメントになってしまいますが、この記事に関してはコメントさせてもらいたくなりました。
ちゃいらてさんのコメントに共感しました。読解力ではなくて、自分が傷つきたくないから目をそらした解釈をする、本質を受け止めるのが怖い、そんな風に思いました。
以前、いいなと思う人に、相手が私に好意をもったいないのにもっていると無理やりな解釈をして「国語はすべての基本だ」と言われた事があります。その事実から逃げたくて言われた事をそのまま受け取れなかったと今では思います。
批判してしまっている事に気づいてしまわないように、本質を回避してるのではないでしょうか。
初見ですが、本当に面白い記事ばかりで、今は振り向いてもらえるような立ち位置ではないけれど、そのいいなと思う人を追いかけさせる女になれればなと思います。きっと、その人もモテる男のカモなのだとは思うので。笑
誤解について、Kouさんがメルマガで書いてたことを思い出しました。秘密のメッセージです。
誤解する人は、放っておけばいいです。
勝手に誤解してきた人のために、なぜこちらが骨をおって誤解を解きにいかないといけないのでしょうか。
実は、損をするのは誤解されたこちらではなく、誤解した人の方なのです。
誤解する人は、実は誤解したい人なんです。
こんな内容です。
当時はあまり気にとめなかったのですが、今となって活きてきています。
これも、視点の切り替えですね。
逆にも言えるのだと思いました。
私が彼を疑ったり、彼の怪しい部分を見つけてしまったような気分になるとき。(彼に限らない)
もちろん、現実問題として嫌なことがあったりするのかもしれませんが、それ以上に私の心持ちの問題として解決できるかも、と思いました。
私が彼を信じられなくなったとき、疑ってしまうとき、それは私が彼を誤解したがっているのかもしれません。
自分の不安を投影し、それに合致する情報を目と耳がキャッチしているのです。
事実は私が作っています。そして、全ての人に同じように見えていません。
強くなるとは、自分の感情をコントロールできるようになることだと知りました。
昨日彼氏から別れを告げられたけど、彼氏は頭が良いはずなのに、
要するに「国語の読解能力が弱いのだ」と私は結論づける。
言ったら逆上して否定するだろうから言わないけど、、。
私が「呼び捨てでなく、○○ちゃんて呼んで。1、2割でもいいから」
「悪気じゃない事は知っているけれど」
て言った事に対して
「いっさいがっさい、○○さん、て呼べばいいんでしょ」
「悪気じゃないのに」
と、
人の話をねじまげて言ってない事をくっつけて読んで来るから
いちいち反論するのも疲れて黙ってしまう私。
それでも今回、初めて思いついた事を主張してみた。
そしたら
言えば言う程
「誤解の雪だるまが増えて来る」気がして
喋りたいけどやめた。
被害妄想だるまで、3、5割、関係無い彼の頭の中の被害妄想が
くっついて返って来る。
あと、「字面と数字、形」をそのまま取るからびっくりした。
例えとか、文脈とか、もっと大きく深く読んで欲しいのに。
理系の頭が硬直している所があり、話をするのが怖くなった所はある。
どこに膨らんで反応してくるかわからないから
kouさん、私ね、読解力というより、物事の捉え方を変えることなんだと思いました♪
この間、祖父と電話をしていて、祖父に嫌味を言われたと感じ、祖父にそれを伝えたんです。
そう言われたような気がして、悲しかったって。
そしたらめっちゃ怒られました。(笑)
お爺ちゃんはそんなつもりで言ったんじゃない。誰もお前が不幸になれば良いと思って言ったんじゃない!誰が孫を苦しめるか!
もっと素直に言葉を受け取りなさい。
人間はな、人が言ったことを良い方に良い方に出来るだけ捉えるように生きなきゃいかんのや。
誰かがなにかを言ったとしても、自分のために言ってくれたんやなぁ。
と捉えるから生きていけるんや。
お爺ちゃんはそうやって生きてきたから、悪いことは一個もなかった!
お前がそう捉えてしまえばお爺ちゃんはお前に何も言えなくなる。
これからも色んな付き合いがあるし、旦那さんの周りとも付き合いも出てくるやろう。
その時そうやって悪い方に捉えてしまえば、人間関係は続けられなくなって、お前からどんどん人は離れていく。
言葉を素直に受け取りなさい!
と言われました。
これを聞いて、かなり泣きましたが、私は相手の真意を探る必要なんてないのかもしれない。と思いました。
素直さってね、良い風に捉える心の真っ直ぐさなのかもしれないです。
祖父が私の不幸を願うわけがないんだよね。祖父も調子が悪いのは知っていましたが、本心はそんなことを言う人じゃないです。
例え嫌味を言われたとしても、傷付くことを言われたとしても、良い風に解釈していくことが、自分をご機嫌にするための方法なんだと思う。
そして、実は私も主人に恋人時代、「頑張ってね♪」と伝えるとものすごく怒り「頑張ってるよ!!」と言われたことがあるんです。
私はビックリして頑張ってね♪と言うことも出来ないの?!と窮屈さを感じたことがあります。
確かに人に頑張ってと言ってはいけないと、世間では言われるようになってきているのは分かっていましたが、誰も相手が苦しんで欲しい、お前は頑張っていないんだからもっと頑張れなんて言ってないんです。
それを主人は勝手にそう言われたような気がして、私に怒ったんだと思います。
誰も恋人に「もっと苦しめ」と願いません。純粋に「明日も頑張ってね!」と気持ちよくなるように伝えただけです。
捉え方を誤ってしまうと勝手に自分が苦しい状況になっていく道を選んでしまうんだと思います。
怒りという選択をしやすくなる。
それが窮屈さになってしまっているんです。
以前、主人の前で外国の人にモテたとき、主人に嫌味を言われました。その時私は「あ、嫌味を言ってる」と感じましたが「うふふ♪実力よ♪」と笑って返したら、他の好意を持たれた異性に「彼はipse が気になってしょうがないんだなぁ♪(^-^)」と嫌味ではなく、それを認めるような言い方になりました。
こういう事なんだと思いました。
攻撃を受けない最大の防御は、捉え方を変えて全てを自分がご機嫌になれるよう受け止めること。
祖父に謝り、悲しくなったことを分かって欲しかったということを伝えました。
祖父はお前がそう感じたのも素直な気持ちなんや。分かるからそれでええんや。と言われました。
その時ね、嫌味を言われた!ではなく「そうでしょー?良いでしょ~♪(^-^)私はとても良い待遇なのよ♪」と返せているほどの余裕と自信がなかったのかもしれないです。
ここで書いてることもそうなんだと思う。
私は「あなたがダメだから」とスゴく責められているような気がした時期がありました。
でも誰も攻撃なんてしていないし、kouさんが「あなたがダメだから」なんて一言も言っていない。
勝手にそう言われてるような気がして、自分を必要以上に責めてしまう。
ここでは「あなたが幸せになりますように!」と言っているんだと思います♪
そしてね、祖父は私が可愛いからからかっただけなんです♪(笑)
ちょっと冷静に考えて、私は相手から嫌われてるんだと思い込まなければ良かったんです。
そう感じるんだから、そう感じ続けていようと思います♪(^-^)
私は本当に本当に、自分の捉え方を変えていこうと思いました!
読解力があるおかげで
ほかの教科で救われてる
って言われた事ならあります。
多分Kouさんのかいていらっしゃることは
読めている、はず…
国語力…というのもあるでしょうが
自分の意識というのは
自分が見ようとしてないものは見えない。
という感じで、文章の端っこしか読んでない、見えてないんじゃないでしょうか。
この記事は、私に対しての批判だー!!
と意識しながら読むと、
「もう読まなくていい」だけが意識にクローズアップされて、他の言葉が入ってこない。
読んでいるつもりで、読めていない。
かっちーん(- – #)ときたら
人の話なんて聞かないで、
どんな理由があるかもしれないのに
ひたすら感情に任せて怒りを撒き散らす。
そういうヒステリックなのは男性に1番嫌われるので
まずはKouさんの記事を読んで湧いてきた感情は横に置いといて、冷静になり、しっかり その文章の意図することを考える。
それが訓練になって、彼とのケンカやトラブルの時にも冷静に感情的にならずに対応できるようになるんではないでしょうか。
「読む」だけでも全部恋愛に繋がりますね。
アメリカでも数学が出来る人は、その年齢より2、3歳上の読解力がある人とデータがあります。うちの子は上二人は本が大好きでそのおかげで読解力が進んでいたのか、数学はできます。三番目ちゃんは本に興味を持ったのがちょっと遅かったので、数学も文章題は難しいようです。今やっと本を読むようになってきたので、年相応の読解力になってきてます。
読解力って、男性のメッセージとか理解するのに絶対必要だと思います。男性って曖昧というか、文章にきちっと考えていることを書くのとかうまくない人もいるので、私はよくさらっと読んだだけでは意味をよく汲み取れていないことがあります。特に恋愛している男性の文章。これどういうこと?とよく読み直しているうちに、時間が経ってしまいますが、(英語というのもありますが)そうやって返事をするまで時間をかけるので、ちょうどいい感じに関係が保てていると思っています。
私は国語、苦手でした〜。本当に。
学生時代、『絶対に間違ってない』と解いた問題も間違っていたりしてビックリしてました。
でも、Kouさんのブログ、メルマガはスーーーッと頭に入ってきますね。なんででしょうね。
誰でも読みやすいように配慮されているからですね。真心ですね。ありがたいです。
国語がそんな大事な授業だったとは。
義務教育は、本当に恵まれているのですね。ある一定の能力を国民に保証する。
国語は得意科目の方でした。
するのは嫌じゃなかった。
でも、私は言葉に拘って損をする時がありますね。全体的に、彼が私に不利な事をしないと知っていても許せない言葉があったら納得できない。
でも、それは結果的に幸せな方向にいきましたが、でも言葉に拘り過ぎる所は気をつけます。
今は全体を見る力が少しつきました。
文章上でなくて、相手の行動ではかる視点を持つようになったからですけどね。
ネット上の文章のやりとり、
うまくいってないのを見かけますね。
はじめから攻撃的だったり揚げ足取りだったり、礼儀や思いやりがなかったり。
読解力の低下も最近言われていますね。
長文を読み取れないと。
接続詞をうまく判断できないのかな?
だから途中の単語に引っ張られるのかな?
話はずれますが、文章を分かりやすく伝える努力をしようと思いました。
真意が伝わらないのは、本意でないもの。
何気に好きな記事のひとつです
kouさんに国語教わりたい(・・;)
国語の読解力、と言うか、やっぱり本を読むのが一番良い気がします。
映像も何もなく、ただ文章だけの世界で、交わされるやり取りを見て、何を思うかだと。
私も偉そうにたくさん読んでいる訳ではないのですが、はじめはとてもとっつきにくくて、何かの賞を取ったような作品ほど、何を言っているのか分からなかったりしました。
恋愛の場面でも必ずと言ってよいほど、途中ある程度の月日が流れた事が省略されてたり。その省略された月日がどの位でどうだったのか?がけっこう気になってました。
また、場合によっては話している事と考えてる事が全然違っているから、すれ違いを生んだり。これは生活していたら、実はよくある事で、それでもその場の空気感とかで、その発した言葉と違うところに目が向けられて受け取ったり。
ときどき目にする、口の悪い彼も、中には言葉と本心が真逆で戸惑うこともあるけど、話していくうちになんとなーく、通訳できるようになるような。
柔軟に受け取る事で回避できる事はたくさんあると思います。
今の私は落ち着いて読めるのでのすが…
日本語をある一定の水準で正確に読解できないと、明らかに不利な契約をさせられたり、変に言いくるめられたりするんです。⇐このようなことは若いときは多々有りました。
勝手な思い込みと言うか、余裕がなくてあせってしまうのが原因だと思います
たくさん痛い思いをし、失敗もしました。
こんなめんどくさいことに気づき取り上げてくれる優しい人も居ませんでした。
個人主義が蔓延してちゃんと人と関わらなくても何となく生きられる社会構造が想像力の欠如の原因かと思ってましたが国語が大切なんですね!!
私は若い時は学校へは殆ど行かず勉強もしなかったのでドキッ!!としました
ありがとうございます。
本を読みます。
感謝を込めて♡
これは、読解力の問題なのでしょうか???
早とちりとも違うような。
読解力が足りなくて正しく受け止めきれないなら、読解力つけるしかないですよね。
ここでの補足は不要でしょう。
足りなくて困ると思えば、本を読みまくって、問題集買ってきてやればいいから。
感情の赴くままに受け取ると、誤解というか、揚げ足取りというか、一つの言葉に過剰反応しがちだと思うので、改善するならそこかなぁ。
Kouさんの文章は、何が言いたいのか分からないような文章ではなくて、目を背けようにも背けがたい、グサグサ刺さる文章だと思うんですよね。
読解力…父も読解力が1番大事だと言っていました。
国語が1番大事だ。読解力がなければ数学も英語もできない。英語を子どもに教える前にまずは国語だ…と。
私も父の意見を聞いて深く納得しました。
また読解力を上げるには読書だとも言っていました。私もそう思います。子どもの頃本をたくさん読めとかなり言われましたが、今となっては文章をストレスなく読めることに感謝しています。
職場の休憩中に本を読んでいたら、昼休みに本読むの!?と驚かれました。本を読む習慣がない人は本に対して抵抗があるみたいですね。
kouさんが国語の授業をする必要はないと思います。一朝一夕で読解力は上がらないと思います。
読解力を上げたい人はまず本を読む癖をつけた方がよいと思います。好きな本や興味のある本から読み進めれば、そのうち抵抗はなくなりますしね。
彼、彼、彼、でお恥ずかしいですが、
読解力とか文脈を読み解く力とかって、
その人のキャパに左右させられることもあるんじゃないかなと思うんです。
私の彼は、頭がいいと、私は思っています。
屁理屈も次から次へとこねるし、
他人のことをよく観察していて洞察力があるし。
でも、余裕がなくなったときは、おかしなことを言い出すんです。
コメントを取り上げてもらった内容ですが、
デート中に無音で勉強の動画を見始めて、
私が怒って「デートしてる場合じゃないでしょ。一人で勉強しな」って言って帰ったとき。
彼は、「もうこの動画も終わるし(デート出来るよ)」って言ってました。
私が帰った後の言い訳?も、「勉強しなって言ってたけど、本気でそんなこと思ってないでしょ。思ってたら俺が動画見てたことに怒るわけない」って言ってました。
本当にそんなことも分からないバカなわけじゃないと思うんです。
でも、一時的にバカになって、自分を正当化したり、相手の言動の一部だけを切り取っていちゃもんをつけたりするんです。
なんでバカになるのかというと、余裕がなくなってるからだと思うんです。
国語の勉強が本当に必要な人もいると思うんですけど、心の余裕を持つだけで大丈夫な人もたくさんいると思うんです。
通常のやり取りならうまくいくのに、
時々常識が通用しなくなる。
それは、国語の問題だけなのかなぁ?って。
前にも同じようなコメントしてましたね(^_^;)))
やっぱり私はそう思うんですよね。
こんにちは。
Kouさん私、学生時代、国語は、成績良かった方なんです。
本読むの好きだし(最近読んでない)、新聞も読んでたし(政治経済、はとばしてましたが)、作文、日記、手紙は書くの好きでした。
でも、教科により、ムラがあります。との、先生からのコメントでした。