14Apr


Kouです。
有料プログラムである「女性の承認」は、元々の目的とは違う効果を得ている人が結構いるようです。
なんとそれは、朝のリフレッシュです。
夜にものを考えると、大抵悪い方向に向かいます。
僕はそれを嫌と言うほど体験し尽くしているので、ブログに来てくれている女性にも、ものを考える行為は朝やってもらいたいと思っています。
女性の承認で毎日送るメールは、そういう理由で朝にしました。
ところが、僕から毎朝メールが来ることで、前日嫌なことがあっても僕のメールで切り替えているのだそうです(^^
思いも寄らない活用法です。
今月に入ってから、「女性の承認」を追加の自己投資として捉えて参加する人が増えました。
僕から見ると、「あなたは入らなくても大丈夫でしょ」というような人が、参加しているわけです。
このプログラムは恋愛の勉強よりもさらに前段にある基礎的なものなので、すべての人に必要なプログラムではないと思っています。
それでも、それぞれ自分の意思で参加する価値を見出して参加しているわけです。
こういう人にはかないません。
Mikinekoさんより:
これじゃ本筋の「恋愛のお勉強」から離れてしまうけれど、
他人を認めることが即ち自分自身認めることに繋がって、
楽しい恋愛、楽しい人生を引き寄せるということなのかもしれませんね。 なんだかわけのわからない書き込みをゴメンナサイ
これ、ものすごく大事ですね。
心に少しずつ余裕が生まれると、他者に目を向けることができるようになります。
自分のことで手一杯なことはあります。
余裕がない時も常にそう考える必要はありませんが、この発想を知っているかどうかは、後の人生に違いをもたらす可能性があります。
よく、仕事でも人生哲学でも、「まず与えよう」みたいなことを聞きますよね。
僕もこれを聞いたとき、確かにそうかもしれないとは思いました。
でも、そこ止まりです。
幸せになりたかったら、まず与えましょう。
「確かにそうかもしれない」
そうかもしれないけど、自分の生活もままならないとか、自己嫌悪の絶頂にいる(!)ときなんかは、人のことなんか構っていられませんし、物理的に与える余裕もあるはずがありません。
ない袖は振れないんです。
僕が自分で辛いとき、実際にそう感じていました。
「言ってることは分かるけど、そうはいっても現実的じゃないよね」
と思ってしまうわけです。
でもこの考え方は正しいと今は思えます。
解釈の仕方が間違っていたのです。
まず与えようというのは、何かものを分け与えるとか、自分を後回しにて何かを提供しようとかいう考えとは違ったのです。
もちろんそうすることを推奨する考え方もありますが、言った通りで、「ない袖」は振れません。
じゃあ何を与えるのか。
答えは、これです。
「称賛」
称賛です。
これができるようになるだけで、次第に自分の状況も変わっていきます。本当に不思議です。
「Kouさん、何を言っているのかサッパリ分かりません」
と思う人もいるでしょう。
Mikinekoさんがコメントで書いてくれていることは本当に大事なことです。
他人の幸せを素直に喜び、たたえることができるかどうかです。
これは簡単なようで結構難しいんです。
自分の境遇に満足していない人ほど難しく感じます。
他人の幸せを、自分のことのように喜べるかどうかです。
他人に幸せを素直に喜べない人は、他人からも幸せを称賛してもらえません。
このブログをやっていて驚くのは、コメントが温かいということです。
色んな人が、このブログのコメントを見て、そういう感想を送ってきてくれます。
他人の幸せを喜べる人にぜひなってください。
そういう人は、僕も応援したくなります。
コメント
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コメント (20)
巡礼させて頂いておりますちはなさんm(__)m
「あのね、人の幸せをうらやましがってもいいんじゃないかな?
素直に「いいなぁ♡」と思っていいと
思うよ。
だって、私たち、神様じゃないから(笑)
そして、私も幸せになりたい♡と前を
向けばいいんじゃないかな(笑)」
おぉ~っ!
いいなぁ♪私も幸せになりたい♪ですね!
今まで、人の幸せに、どういう心でいればいいか、わかりませんでした。
やっとわかりました!
逆に、人の不幸は蜜の味です…。すみません。
これも、ちはなさんはどう思うのかな?
いつも、辛そうな人に声かけて心配されてますよね…。
どうしてそんなに優しくなれるんだろう?
なんだか、ちはなさんのおっしやることは、とっても素直に聞ける私…。
こんなの、はじめてかも♪
この3日間で
親友2人と最近仲良くなれた同僚の子から
プロポーズ受けて結婚することや妊娠したというお知らせをもらいました!
こっちにもいい事が起こりそうな
うれしい出来事♡
前みたいに
遊んだり旅行やプチ留学したりが
自由にできなくなるのだな、と思うと
正直、寂しく思う気持ちもあるのですが。。
でも、本人たちが幸せなんだから、
それを祝福したい!!!
幸せな報告にほっこりしながら、
昔の楽しかった思い出に浸りながら、
今日はゆっくりと
お風呂でひたりたいと思います。
おめでとう!
ここの皆さんにも
素敵なことが、
たぁくさん!
起こりますように。。♡
ちょっと休憩。あまりうまく言葉にできませんが、少し気づいたことがあったのでここに書きます。
今あがいている私に本当の意味で寄り添ってくれる人、励ましてくれる人、そっと手を貸してくれる人はみんなある程度満足していて幸せそうにしている人です。今私を気にかけてくれる人たちはみんなそういう素敵な人たちです。
自分に余裕のない不幸な人(自分が不幸だと思っている人)は人に寄り添う余裕なんてありませんよね。
私が他人の幸せを喜べず、他人の不幸を願っていれば、幸せな人は離れていき不幸な人だけが周囲に残る。その不幸になった人たちは余裕がないから私の幸せのためになんか動いてくれない。それどころか同じように不幸を願ってくるでしょうね。結果自分も幸せにはなれないまま。
少しくらい辛いときでもマイナスの感情は置いといて、純粋に友達の幸せをお祝いしてきてよかったな〜〜と思いました。メッセージを送って、プレゼントを贈って。そうしてきていなければ今ごろ誰も味方になってくれなかったでしょう。一緒に物件探してくれたり、すごく応援してくれたり。いい友達に恵まれました。
人を呪わば穴2つ。裏を返せば、人を祝えば花2つ。
ああ、わかります。
自分が凄く辛かったとき、大好きな先輩におめでたいことがあって、嬉しいし喜びたいのにそれと自分の状況を比較してしまう自分がいて。
おめでとうございますも言えたしお祝いもみんなでしたけど、あの時凄く自己嫌悪して、そんなことを考えてしまう自分が嫌でしょうがなかった。
自分が辛い時でも、人の幸せは、素直に称賛出来る自分でいたいです。
よしかさんのコメントすごく素敵です✧*。
人を呪わば穴二つ、
人を祝えば、花2つ♡♡
自分に余裕が全くないけど、
人の幸せを喜んで分かち合えるようになりたいな。
とりあえず、彼氏できたみたいで
幸せそうで嬉しいよって伝えてきます。
空っぽすぎて、与えるものはないけど
言葉と気持ちは称賛は与えられそうです。
ミリヤーなう|´-`)笑
>自分の境遇に満足していない人ほど難しく感じます。
わたし、満足してないのかな…( ॱߑॱ )
さっき、地元の親友仲間のLINEグループにメッセージがあり、しばらく疎遠状態でしたが、仲良しの一人が、3人目を産んで、それも待望の男の子だという報告でした。(既読をつけずに読んだ)
その子は、両親も素敵な人で、わたしは子供のころからその子がずっと羨ましかったんです。
その親友もとても出来た子で、すごくモテる美人で自由な人です。ディズニー大好きで、付き合う彼氏もモデル並みのイケメンと。彼女のおかげで、わたしもその仲間に入れました。
そんなずっと幸せオーラを出してる彼女が、ほんとにずっと羨ましくて、報告を聞くと、焦りがいつもありました。わたしには無いもの全て持ってます。結婚後も旦那さんも、その子のことが気が気でないようでした。(男友だちも女友だちも分け隔てなく飲み会する)
もう結婚して11年くらいなのかな、それでもその人の子供を3人産んでる。しっかり幸せ家庭してるんだなと思わされてしまいました。
正直いうと、誰か一人くらい離婚してるんでないかと思っていたほど。疎遠状態はもう8年くらいかなぁ…
だから…
>他人の幸せを、自分のことのように喜べるかどうかです。
喜べなかった…
親友なのに。小学3年からずっと一緒にやってきたお友だちなのに。その幸せがずっと羨ましくて。
わたしは2回も結婚に失敗して、不倫までして…
なにしてるんだろうと、モヤモヤ。
わたしだって女の子が欲しかったのに…
でも自分で選んだ道なのに、ひがんだって仕方ないのに。
わたしは私らしくしているだけなのに、なぜこんなにも違うのか。
>他人に幸せを素直に喜べない人は、他人からも幸せを称賛してもらえません。
そうですよね。
彼女との違いは、たぶんこういうことなんだと思います。私が結婚したときだって、あんなに喜んでくれたんです。わたしの長男も、たくさん可愛がって遊んでくれた。
わたしはずっと、小さいころから、彼女のようになりたいと思って、近くにいて、真似をしてました。
だからと言って、自分の過去を全否定しているわけではないです。
わたしはその当時、そのやり方しかわからなくて、そのときはきっと全力でした。幸せほしくてたくさんもがいて生きてきて、今があります。
生活(お金)には困ってないし、なんでも自分でなんとかなるし、子どもたちも大病せず、素直に育ってくれてます。
ただ、やはりわたしの生き方はこういう生き方しか出来ないのかと、ちょっとモヤモヤしただけです。
お父さんがいない家庭で育ち、それを受け継いでしまってる。似たくない母親に結局似てる。
私が羨ましく思うような、理想的な幸せはやはり私には似合わないものなのか…
でも諦めてしまったら、ここで勉強している意味が…
親友たちには、離婚したことまだ報告できていません。(もしかしたら、人づけてに聞いてるのかも)
しばらく彼女たちと疎遠でいたことが、”わたしの幸せはわたし自身が決める”、”満足している”、と精神の安定を保っていられたのかもしれません。
なんか、現実に引き戻された感があって…モヤモヤしたのでコメント書いてしまいました。
【お父さんがいない家庭で育ち、それを受け継いでしまってる。似たくない母親に結局似てる。】
私も同じ気持ちになることがあります。
なんで目の前の幸せに背を向けて全力で逃げているのか。
嫌いでやっと逃れられた母を近くに寄せつけてしまっているのか。
情けなくなるのですが、今からでも自分を大事にしていくしかないなと思っています。
私はまだ人生の折り返し地点です。
まいまい10さんもがんばれがんばれ。
【生活(お金)には困ってないし、なんでも自分でなんとかなるし、子どもたちも大病せず、素直に育ってくれてます。】
すごく立派だと思います。本当にすごいことですよ、これは。
誰にだって成し遂げられるような簡単なことではないです。
自分を褒めるより前に、他の人を心から褒められないのはしょうがないことだと思います。
他の人から言われないと分からなくなることありますよね。
まいまい10さんはちゃんと成し遂げていますよ。大丈夫だぁ(´▽`)ノ
まいまい10さん
お初に勝手にコメントさせていただきます。
まいまい10さんは、今多分傷ついていらっしゃる、だからきっと素直に喜べていないだけなんじゃないのかな?と思います。
だって痛いときは満面の笑顔でなんか笑えない、当たり前だと思いますよ。
こんな生き方しかできないのかな、なんて、それはすみません、違うと思います。そしてまいまい10さんはしっかりと自分が今より幸せになるための選択をしてきたはずだと思っています。
親の生き方は親の生き方、まいまい10さんが引きずられる必要はないです。自分が立ったその場所からしか見えない景色がある。逆を言えば羨むほどに幸せを感じているかだって、その立場に立たなければわからない事。
他の誰でもない、まいまい10さんが積み重ねてきた大切なものがちゃんとそこにあります。
同じような状況にあるもので、すみません、つい勝手な事を言ってしまいました。
隣の芝生が青いとは限らない。私が傷ついて落ち込んでいた時に、言ってもらった言葉です。顔を上げられていないだけで、目の前にはちゃんと青い芝生の土台が出来ていると思います。
取り留めもなく、うまくも言えなくてすみません。
浪花の女さん、たむたむりんさん
わたしへのコメント、ありがとうございます( ˆ ˆ )
お時間とらせてしまいましたね( ._. )
自分で乗り越えないといけない現実だなと感じてます。それに、こんな自分も嫌いなので…
こんなわたしですが、励まして頂ける仲間がわたしにはいると感じることができました!
今後も見守って頂けると幸いです。
人の幸せ、喜ぶ姿。。見るの、もの凄く、大好きです。
何故なら、自分も同じように、とても心が、幸せな心が暖かくなるような、そんな気持ちになれるからです。
その方の、きらきらした幸せ、をおすそ分けしていただけた気持ちになれます。
逆に、、辛そうにしてる人を見てしまったら、とてもとても、こっちまで辛くなってしまって、悲しくまでなり、、心が痛烈に引き裂かれるような、血がにじむような思いにまでなってしまうことがありましす・・。
自分に、なにか、どうにか?できないかなと考えてしまい。
>これは簡単なようで結構難しいんです。
自分の境遇に満足していない人ほど難しく感じます
↑そうなんですね、、自分は、自分の、今の環境に、すでに充分満足しているのだなぁと、多いに、確信できました。
よりいまのおかれてる環境に、感謝の気持ちを決して忘れることないように、これから起こりうる出来事にも、落ち着いて、対処していきたいと思います。
誰かの幸せを目にすると、お祝いしつつどこかで
「どうして他人ばっかりいい思いをして自分ばかりが損するの」
と思ってしまうクセがあるようです。
これは論理的におかしいですよね。自分の幸運を他人にとられたわけじゃないんです。
逆の立場で考えるとそれがもっとよく分かります。自分にいいことがあったとき「なんであなたが得をしてわたしが損するの」ってもし言われても「知らんがな」としか言いようがないです。
思考の罠なんですよね。気がついたとき、やめようと思いました。
じゃあなんでこの思考に至ってしまったのか?
自分で幸せを掴みに行こうとしないからですよね。行動を起こすより他人を羨んで恨んでいるだけの方が楽なような気がするから。
じゃあなぜ自分で幸運を掴みに行けないのか?エネルギー不足ですね。体力と愛情不足。
体温維持にエネルギーを使うのか冬はすごく消耗してしまいます。そして今仕事ばかりになっています。職場は厳しく孤独な場所です。これでは心が擦り切れてしまいます。
ちゃんと食べてあったかくして、楽しいことして、もっと利害関係抜きで可愛がってもらえる場所に出向いたほうがいいみたいです。
ハッとしました。
一昨日 友人に素敵な恋愛報告をされて素直に喜べませんでした。
今の私の状況知ってるのになんでわざわざそんな嬉々として長々報告してくるんだろう…ってイライラしてしまいました。
いつも泣き言ばかり言ってて、自分は不幸だ不幸だって周りにわめき散らすような人なのに
素敵な恋愛出来るんだな…って 憤りすら感じてしまいました。
ふぅ…よくないなこれってって 冷静になれました。
その友人と彼氏を取り合ってるとかならまだしも、全然関係ない事なのに
自分がバカっぽくて惨めで 今笑ってます。
寝る前にこの記事みて良かった
kouさん いつもありがとうございます
「敵視をやめること」から飛んできました。
私今、心に余裕がないのれかもしれません。
もともとプライドが高すぎるのかもしれません。
職場の同僚に、
いちいちイラッとしてしまうんです。
悪い人ではないんです。
歳下で懐っこくて。
悪気はないのだと思います。
なんなら親切心かもしれません。
もしくは、
単純にバカなのかもしれません。
でも、そんな同僚に
仕事のことで、
聞いてもないのに、
勝手にいらん気を利かせて?
〜で大丈夫ですよ。
〜できますよ。
これ〜なんですよ。
と言われると、
「いやいや。そんなこと言われなくても分かる。
仮に知らなかったとしても、
その程度なら考えれば分かる。
それに私、あなたより経験あるのよね。
この職場にはあなたは1年早く入ったけど、
私は前の職場で経験を積んできたし、
舐めてもらっちゃ困るのよ。」
と心で思ってしまいます。
ひどい時は、
「あんたなんかに言われなくても分かるし、
もっと完璧にできるってのー!!怒」
こんな風に思ってしまう自分が嫌です。
心がおブスですよね。
こんな風に思ってしまう癖?考え方や感じ方?を
変えたいです。
同僚を必要以上に敵視やライバル視
してしまうとき、
自分が相手の言葉に過剰に?反応してしまう時、
どうやって自分の心のコントロールを
すれば良いんでしょうか。
kouさんならどうしますか。
自分の心の整理も兼ねて書きました。
わたしはコメント欄にずっと自分のことしか書いたことがなくて、他の方へのお手紙を書けるなんて別次元の話だと思っていました。自分の悲しみや苦しさでいっぱいいっぱい。
それが、ある記事で取り上げていただいてからたくさんの方に応援のメッセージをいただいて、褒めてもらって、何度も何度も励ましていただいて、いつのまにか私も最近少しずつ他の方にお手紙が書けるようになりました。
他の人を素直に応援したり、称賛したり、幸せを自分のことのように喜んだりできるのって、自分が誰かに同じことをしてもらったからというのもあるのかなと思います。
愛は与える前にまず自分に溢れさせなさいというような文章がメルマガかブログか承認メールのどこかにあったような気がするのですが、その通りですね。
kouさん
こんばんは
きゅんきゅんです
はい♡
kouさん♡
わかりました
他人の幸せを喜ぶだけでいいのか〜
意外と無意識で、私色々できてるんだなあ〜
私すごい♡
♥勉強♥
・対話7記事
・技法3記事
合計10記事
ーーー
今日は対話の技法をメインで、やりました。
お昼食べたらまた勉強する〜( ´꒳` )
マッチングアプリのコミュで
おしゃべりしていた女性が
今日で卒業(退会)することになり、
さっきまでコミュで甘い報告を聞いてました。
会ったこともない人だけど
文字から人柄って出るもので、
彼女の一見穏やかな雰囲気から繰り出す
鋭さとユーモアあふれるツッコミが
大好きでした。
もうおしゃべり出来なくなるのは寂しいけど
お相手の人との話はとても幸せそうで、
良かったなあって心から思えました。
今日、友達から結婚の報告をもらって久しぶりに考えてみたけど、やっぱり心から祝福はできませんでした。
言葉ではおめでとうと言えるけど、気持ちの上ではどうでもいいと思ってて素直に喜べない。
こういう時って咄嗟に思うから、これが今の本音だなって嫌でも認識する。
なんだかもう、他人の不幸に安心して、幸せを喜べないのって性根の問題だと思うから、どれだけ勉強しても努力しても、この感覚だけはひっくり返らない気がする。
後付けで喜ぼうと思っても、それは本音じゃないし、称賛してるふりなんですよね。
咄嗟に感じてしまう、どうにもならない嘘偽りのない本音が、自分は根底がダメだって証明で、足りないものを身につけることはできても、心根のきれいな人にはなれないんだろうなと思う。
このお話で思い出したこと。
なかなか子供が授かれないとき、
まわりの友人が次々妊娠してて羨ましかった。
赤ちゃん大好きで会いに行きたいけど、
自分が嫉妬の感情覚えちゃったらやだなぁって思ってた。
でも出産祝いで友人と赤ちゃんに会ったら!
一気にわたしも幸せになりました。
おめでとうかわいい私も幸せにしてくれてありがとう
お疲れさま!って友人に心からお祝いできた。
同時に自分に安心しました。
ああわたしは大丈夫だ。って思いました。
その年に無事授かったんですよね。
人のこと称賛できる、よかったねって言いたいし、
辛そうだからって気を遣われて
距離取られるのもかなしいから、気にせず声かけたり、
話したいことがあったら聞いてあげたいな。